僕が「決めつけは嫌」「押し付けは嫌」と何度も書いていることは、相手を悪いと裁き、やめさせようということではありません。
僕がそれを嫌なんだということが、相手に伝わっていない可能性があるから、何度も何度もそれを言葉にしていこうとしているのです。
相手が何度も何度も決めつけてくること、押し付けてくることは、もしかするとそれをすることを「嫌だと思ってない」と感じていて、「よかれ」と思ってしてきているかもしれないのです。
相手を変えようとかそういうことではなく、自分の思っていること、感じていることをしっかりと伝えていくことが、まずはコミュニケーションの第一歩になると思うのです。
決めつけられても曖昧な笑顔でごまかしてきた自分。
なんだかモヤモヤとさせられるのに納得した振りをしてきた自分。
僕はそれが嫌だという感覚さえ麻痺しかけていました。
でもね、ずっとずっと僕の中のインナーチャイルドは「決めつけちゃ嫌だよ」「僕の心が歪んで伝わるのは悲しいよ」って訴え続けてたんです。
最近僕はようやくその過去の自分、小さな子供の自分に出会うことができました。
まるで一人映画「君の名は」ですね。
ずっとずっと見つけてほしかったっていうその自分と、ついに再会できたという感動的なストーリーを感じているのです。
今まだ僕はその子の存在を見つけたばかりなので、その子に触れられると大きな怒りとともに燃え上がることもしばしばです。
しかし今後、それに「反応しない自分」というものも見据えていることも確かです。
今はどうかご容赦下さい。
ただおかげ様で、僕が決めつけられることが嫌なんだということは、多くの方々にしっかりと伝わってきているように思います。
僕の投稿へもコメントも、お気遣いいただいているうようで、ありがたいことです。
「こういうことだよね」ではなく「これってどんな感じ?」と聞いてくれることが多くなりました。それって僕の中ではとても大きいのです。
さらに最もわかり合いたい夫婦の間で、そのことがしっかりとお互いに伝わってきている実感があります。
結婚当初はお互いに決めつけ合いが激しく、どちらが正論で論破してマウントするかというような感覚がしていたからです。
もちろん今でもお互いに決めつけることは多々あります。
でもその時に、「決めつけちゃ嫌だよ。」「あ~ほんとだ。今決めつけてたな。」をわずかずつでも共有できてきたと感じられ始めたことが、僕はとてもうれしいのです。
コミュニケーションは相互理解活動だという今までの『僕の辞書』の解釈に新たな文言が加わりました。
「コミュニケーションとは相互不可侵の相互理解活動です。」
山地 弘純
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