私のこと必要じゃないの?
私なんて、いてもいなくても一緒なの?
ねえ、あなたが必要って言ってよ。
ねえ、あなたがいてくれてよかったって言ってよ。
あ~、もうめんどくさいやつ!
ん? それって僕もか。
っていうか、多分ほとんどの人がそうなんじゃないかな~。
誰もが他人に褒められたくて、認められたくて生きている。
自分の存在証明をしたくて躍起になっている。
例えば、僕はサッカーをやってたけれど、自分の存在を証明したくてやっていた。
特にチーム内のみんなに証明したかったのだと思う。
チームのみんなよりドリブルで抜けなくてはならない。
チームのみんなよりゴールが決めれなければならない。
僕が試合に出れなくてチームが負けた時、「やっぱおらんとダメだわ。」なんてこと言ってもらうと、「そうだろ、そうだろ」って秘かにいい気分になっていることに気付く。
でも逆に僕がいない時にチームが勝ったりいつもよりいい感じだったりすると、
「僕がいない方がチームの流れがよくなるんだろうか。」
「僕はもう必要ないんだろうか。」
なんて思ってしまうこともあった。
必要って言ってもらいたいんだよね。
自分の居場所はここにあるよって、誰かに言ってもらいたかったんだよね。
心理カウンセラーの心屋さんは言われる。
能力じゃない。
魅力じゃない。
そんな外付けの自信はもろく崩れやすい。
上には上がいるから。
自分の内側からにじみでてくる存在価値、そして自信を育てていきましょうと。
僕は自信のない人だった。
他の誰かから褒められたり認められたりしたことを自分という存在の柱にして、最近まで生きてきた。
それによって立ってきた。
まさに不安定でもろく、崩れやすいもの。
心屋さんの言葉はとても納得できた。
それでも頭でしか理解していなかった。
だけど、最近の瞑想体験で、その言葉が身体と心とに繋がったような感覚がした。
ただ座っているだけ。
社会のなんの役にも立たない時間。
それなのに、満たされた。
なんの役に立たなくても。
なんの証明をしようとしなくても。
自分の内側から光りだす命の柱。
大いなる生命の息吹が、僕の肉体の中を生きている。
天高くから大地へと突き刺さる一本の命の柱。
そうか、自分の中に柱はある。
その柱に気付くこと。
しっかりとその柱に光を通してやること。
これが存在の純粋な価値なんだろうなって思った。
相手に勝たなくてもいい。
誰かと比較して、能力のなさを嘆かなくてもいい。
他者からの賞賛や承認を自分の柱になんてしなくっていい。
誰にも依存しなくてもいい。
存在の証明は、自分が自分でできる。
自分の大黒柱は、自分でしっかりと立てるんだ。
僕は僕自身に向かって言う。
「あなたが必要なんだよ」
僕の居場所は、僕が決める。
そう決めたなら、他の誰もそれを否定することはできないから。
だいじょうぶ。
吹き込まれた命。
あなたは今までただこの世界にいた。
これからは生きていこう。
山地 弘純
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