「副住職さんはよく思いやりが大切だっておっしゃいますが、具体的にはどういうことなんですか?」
こんな質問をされたことがある。たしかに思いやり思いやりと言うけれど、漠然としていてわかりにくいものだ。
相手の事を思い、どういうことをしていくことが大切なのか、僕もずっと考え続けてきた。思いやりとはニュアンスで感じとるもので、具体的なんて伝えられるものではないとも思っていた。いや待てよ、そういえば・・・。そうだ、あの言葉があった。
「世の中は こその二文字の 置きどころ
乱れるもこそ 治まるもこそ」
高野山のあるお寺で教わった五七五七七の短歌。世の中は「こそ」という言葉をどこに付けるかによって乱れもするし、治まりもするという。
例えば夫婦の会話を例に挙げてみよう。
「俺が働いてきてやってるからこそ、お前はウチにおることができるんだ!」などと旦那さんが言うと、負けじと奥さんが言い返す。
「何言ってるの。私が家のこと全部してあげてるからこそ、あんたは仕事のことだけど考えていられるんじゃない。」
これはお互いに自分の方に「こそ」を付けた場合。そうすると嫌味な感情を発し合い、喧嘩になってしまう。
それでは相手の方に「こそ」を付けてみてはどうだろう。
「お前がウチのことを全部やってくれるからこそ、俺は仕事に専念することができるんだ。」
「いえいえ、あなたが働いてきてくれるからこそ、私はこうやってウチのことをすることができるんです。」
そうすると、お互いに優しくなることができる。
最近は共働きのお宅が多く、このような例え話は妥当ではないかもしれないが、「こそ」の言葉の付けどころでこんなにも人間関係が変わるということは、わかってもらえると思う。
親子の関係でも言えることだが、「わしが育ててやったからこそ、お前はこんなに大きく育っとるんだぞ!」なんて自分の方に「こそ」を付けてしまうともう大変。「誰も育ててくれなんて頼んでへんわ!」ってなことになってしまう。
「お前がいたからこそ、わしは頑張れた。」
「お父さんが育ててくれたからこそ、こんなにも立派に成長することができました。」
なんだか恥ずかしくなってしまうような会話だが、世の中このようなものなのだ。
自分に「こそ」を付けるのはもうやめよう。僕がいたからこそお前のミスをカバーできたよな。僕の言葉があったからこそお前は立ち直れたよな。僕があの時助けてやったからこそ今のお前があるよな。誰しもが言いたくなるんだ実際。
自分を高めたりアピールしたくなるんだ。無意識のうちに自分に付けてしまってることもあるかもしれない。
「こそ」を相手に付けるのは、簡単そうに見えてものすごく難しい。だがそれでもやろうと努力してみる。あなたがいるからこそ。あなたのあの言葉があったからこそ。あなたが助けてくれたからこそ。
それが相手への思いやり。まずは言葉から始めたい。
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山地 弘純
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