五月十六日、スタートして四十一日。
いよいよゴールが目の前に迫っていた。
八十八か所を最後までたどり着くことを、結願という。
僕の願いは何だったのだろう。
やっぱり自信が欲しかった。
揺るぎないものが欲しかった。
多分そうだったんだと思う。
日暮れが迫る八十七番札所長尾寺から八十八番大窪寺までの道のり。
もう力を余す必要もない。
しばらく歩いていくと車道と旧遍路道の分岐点となる立て札があった。
「車道より一時間長くかかるが、絶景、感動のコース」
ここを通らずして結願はない。
足は自然と旧遍路道へと向かっていた。
全力で飛ばして行こう。
必死に険しい坂を登る。
足が重くなり喉もからからになった時、横をさらさらと流れる渓流の澄み切った水が救ってくれる。
乾ききった体に染みわたり、水ってこんなにも美味しいのかと思わずにはいられなかった。
女体山763メートル越えの遍路道。
頂上付近は本当に急で、崖をよじ登るような場所もある。
支える力が弱まった足では、気を抜くと後ろに転げ落ちてしまいそうな感覚にも襲われる。
なんとか登り切り頂上に立った時、思わず「うわ~っ」っと声をあげてしまった。
そこには夕焼けに染まった素晴らしい景色が広がっている。
まさに結願にふさわしいコースだ。
僕はそれを忘れないように瞳に焼き付けた。
登ったら下るという理の通り、僕は迫りくるお寺の閉門の時間に追われるように駆け下りた。
近付くにつれ足取りも軽くなる。
いつもなら「あと少し」「頑張って下さい」と書かれた札がつるされているのだが、今回だけは違う二文字が赤色で大きく書かれている。
「結願」。
ついに来たんだ。
しかし思ったほどジーンとくることもなかったし、涙も出なかった。
勢いよく大窪寺に飛び込む。
納経時間ぎりぎりだった。
やった、間に合ったという満足感だけは大きかった。
冷静に最後のおつとめをしたのを覚えている。
次の日、僕は再び第一番の霊山寺へ向っていた。
そこへたどり着いてこそ丸一周となる。
道が見覚えのある場所へと出ると、懐かしさでいっぱいになった。
新四国庵のベンチで休憩をする。
別に疲れてもいなかったが、ちょっと立ち寄りたくなったからだ。
ちょうど四十日前、十五キロ少々歩いただけで「足がだるいし疲れた~」とこのベンチにもたれかかり、先行きを不安がっていた自分の姿がプレーバックした。
今ではもう一日に四十キロでも五十キロでも歩けるのに。
それが昨日のことのようにも思うし、もうずっと昔のことだったようにも思える。
とうとう終わるんだな~この旅も。
そう思うと堪らなく寂しさが込み上げてきた。
同時にいろいろな思い出が走馬灯のように蘇る。
苦しいことも辛いこともあった。
不快な思いをしたこともあった。
しかしそれらを消し去ってしまうほどの大きな温もり。
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山地 弘純
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