外部との接触を断ち、この宝寿院の中で一年間を過ごす。
僕達の年代は、定員いっぱいの80名だった。
もちろん試験で落ちたものもいる。
寮は2名1室の全寮制。
慣れない集団生活と厳しい管理主義にとまどいながら、一日一日をなんとか過ごしていった。
予想通りお寺の息子が多く、4分の3ぐらいの人数を占めていたが、中には在家からお坊さんを志望する人や、道を求める人も修行に来ていた。
高野山大学を経ずに他の大学卒の人。あるいは高卒の人。あるいはサラリーマン生活を経てここに来た人もいる。
年齢も18才から45才くらいと差があった。
衣を着けることもできず、お経を唱えることさえできない人もかなりいる。
その中で、僕は小さな頃から教え込まれてきたため、少し詰め込みに余裕ができ、助かった。
ただ、朝夕の勤行、掃除、声明(節の付いたお経)、御詠歌、お茶、お花など、学ぶことは山ほどあった。
毎日続く精進料理は、ご飯と味噌汁とその他一品。
常に頭をよぎったこと。
「あ~肉食べたい・・・」
夜消灯後に、ルームメイトと毎日のように同じ話をする。
「な~、ここ出たら最初に何食べたい?」
「う~~ん・・・。 肉。」
ここでは頭の中で思い浮かべるのがごちそうだ。
「食べたいもののベストスリーは?」
「ええっと、焼肉と~、ラーメンと~、ハンバーグ!」
「あ~、それいいな~。」
僕らはいったいどれだけ肉に依存しているのだろう。
部屋の片隅に貼られたモスバーガーの広告が、むなしく隙間風に揺れていた。
テレビもない。
情報はまったくわからず、世間から取り残されていく。
新聞も秋口からは読めなくなった。
それでも、みんなともだんだん仲良くなっていくにつれ、閉鎖的な空間ではあるが、それなりに楽しかった。
唯一出れるのは伽藍と奥の院の参拝のみ。
それもいいリフレッシュだった。
しかし、専修学院前半は準備期間のようなもの。
真の修行は9月からだった。
これより100日間、一心に「加行」と呼ばれる行法を行う。
全てををやり遂げないと、真言宗のお坊さんにはなれない。
山地 弘純
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