逃げようとしたら逃げられたはずだ。
そうしなかったのは、僕の中にある何かが引き止めていたのかもしれない。
僕は無事に4年で大学を卒業。
「専修学院」を間近に控えてドキドキしていた。
そこで1年間修行して、僧侶の資格を得る。
いったいどんな修行が待ち受けているのだろう。
不安でいっぱいな僕に、檀家さんが口々に声をかけてくだる。
「後を継いでいただけるそうで、ありがとうございます」
「後がなくて困っているお寺があるのに、私らはそれが何より嬉しいです」
「大変でしょうけど、頑張って来てください」
口先じゃなく、本当にそう思ってくれる檀家さんだった。
僕が後を継ぐのを望み、期待してくださる方々が、こんなにもいると初めて実感した。
継ぐのが当たり前という見方をされるのが嫌だった中学時代。
当たり前に反発した高校時代。
だけど、それを当たり前と見ず、感謝してくださる人がいるなんて思いもよらなかった。
お寺は個人のものではない。
檀家全員のものだ。
しかしその視点からお寺を考えてくれる人はほとんどいないと思っていた。
「できるならお寺には、死ぬ日までは関わりたくないな。」
中学時代、ある先生が悪気もなく笑いながら授業中に言った一言。
「なんでお寺のことがウチに関係あるんだ」
どこからともなく耳にする人の声。
過去に感じていたのは周りからの疎外感ばかりだった。
そんな僕にとって、檀家さんからかけられる言葉の一つ一つは、すごくキラキラと輝いていた。
「お寺があるからこそ私たちがあるんです。」そんな言葉を下さった方もいる。
ありがたいし、勇気付けられもした。
少しプレッシャーも感じたけど・・・(笑)
逆になぜお寺を大切にしてくださるのか。
なぜここにお寺がなければならないのか。そのわけを知りたいと思った。
今まで知らなかった温もり。
それを感じながら、僕は専修学院へ歩みを進めた。
高野山の壇上伽藍の裏通りにひっそりとたたずむ宝寿院。
80名収容の寮を完備している。
この宝寿院というお寺が、高野山真言宗の道場『専修学院』である。
4月初、髪を2ミリに刈り込んだ僕は、不安と緊張からくる重い足取りでその門をくぐった。
前日バリカンで髪をばっさりと刈るときには、やはり今の自分と別れを告げるような寂しさと、何年ぶりかに見るザラザラの坊主頭に対する気恥ずかしさがあった。
ついに来てしまったな・・・。
僕は空を見上げ、大きく息をはいた。
山地 弘純
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