半年後の十一月二十一日には御本尊様のお厨子の扉を閉じる閉帳式を行う。
開いたばかりだというのに閉じることを考えるとなんだか寂しくなってしまう。
だけどたとえ扉が閉じても、御本尊様は中でずっと変わらず僕らに微笑んでいて下さる。
今のうちにできるだけその姿を心に留めればいいと思った。
それに僕はもう皆さんに伝えるべき言葉は考えてある。
「この御本尊様というタイムカプセルに、僕たちの祈りをいっぱいに込めて扉を閉じましょう。僕たちが五十年前の思いを受け取ったように、今度は五十年後の未来を担う人たちに思いを託して・・・。」
御本尊様から満ち溢れる光。
それに反射するかのように、過去も現在も未来も、全ての繋がりが輝きを放っている。
亡くなった人も。
生きている人も。
これから生まれ来る人も。
「いのち」は一つの大いなる流れなのだと実感した。
もしかすると繋がった見えない糸を照らし出すのが仏様であり、お寺という存在なのかなー。ふとそう思った。
善住寺の御本尊大日如来様は秘仏。
確たる理由も知らず、ただ「先哲よりの戒めにより五十年に一度その扉を開く」と伝えられるのみ。
なんでなんだ。ずっと開けとけばいいじゃないか。
そんなことを思ったこともある。
だけどやっぱり意味があったんだ。
なんとなくだが、この御開帳を通じてわかったような気がする。
昼下がりの爽やかな風とともにPaix2(ぺぺ)の美しい歌声が運ばれてくる。
御開帳記念野外コンサート。
後ろではたくさんの水子地蔵様たちも彼女たちを見守っている。
大自然に融けた癒しのハーモニーに耳を傾けながら、僕はゆっくりと目を瞑った。
次の五十年後に、僕は生きているんだろうか。
もしまだ元気なら聞きたい。
お坊さんになってよかった?
何か答えは見つかった?
僕はその頃はもう住職じゃないな。
もし僕に子供ができたら、その子が住職なんだろうな。
いや、それ以前に、お寺を継いでくれるんだろうか。
いろんな思いが頭を巡る。
未来から過去に。
いつの間にか僕は自分の歩んできた道程を振り返っていた。
僕は周りから見ると、真っ直ぐぶれることなくお寺の後継ぎに納まったかのように見えるのかもしれない。
だけど僕の心は決して真っ直ぐになんて進んでいなかった。
どうしようもないくらい、悩んで、迷って、ぶつかって・・・。
山地 弘純
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