相手をコントロールしようとする思いの下には不安や恐れがあり、その根本には自我執着がある。
みんな違うって意識があるんだ。わけへだてをしようという意識。
本質はみんな同じなのにね。
個性とは差異をつけるものではないのに。
たとえ縦長の円柱グラスに入ってようと、横長の角柱グラスに入ってようと、三角であろうと星型であろうと、中に入っているのはどれもオレンジジュース。
何が違うっていうんだろう。
背が違おうと、髪型が違おうと、肌の色が違おうと。
何も変わらない、同じ存在なんだ。
みんな平等を叫び、平等でありたいと言葉では言う。
だけど自我が邪魔して平等になれない。
自我があいつらとは違う違うって訴えてる。
差別をなくそう、そんな言葉と矛盾する思いが湧き出してくる。
違う。だからわからない。わかりたくもない。
違う。だから怖い。近づきたくない。
時にそれは戦争にまで繋がる。
自我の妄想が邪魔してるってことを認めれば、
その積み上げた垣根を下げれば、
分かり合えるのかもしれないのに。
ノーベル平和賞のマララさんが言ってた。
「同じ教室で机を並べて共に勉強する。そうするとたとえ肌の色が違っても平等だって知ることができるの。」
僕もあなたも、あの子も、あの人も、みんな同じ。1以上でも1以下でもない。
平等なんだ。
もっと言うと動物にだって、植物にだって、土にだって、水にだって、大気にだって、同じものが入ってる。
何が入ってるかって?
全てのものには「空」が入ってる。
そう、呼び方なんてなんでもいいんだろうけどね。
仏教ではそう呼んでるんだ。
全てのものに遍満し、支え合い、循環をし続ける。
だから「空」って表現をする。
それぞれは無我であって、我が有ると錯覚することで本質が見えなくなっていく。
自我が盛れば盛るほど過激な感情が湧き出していく。
そう、自我執着は平等をも妨げる。
もしできるものならば、自我と自我のぶつかり合う憎い相手と、同じ教室で同じ机で「空」を学べばいいのに。
山地 弘純
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