不増不減。
この無限なる世界は増えもしないし減りもしない。
一なのである。
これは般若心経の一節。
大宇宙だけでなく、我々一人一人にもいえることで、本質は一なのである。
これより増えることもなく、減ることもない。
逆をいうと増えた分は減る。減った分は増える。
姿は変わる続けるが内容は同じなのである。
どういうことなのかというと、我々は円相の中にあり、どこかが飛びだせばどこかが引っ込む。
何かを得れば、何かを失うともいえるのかもしれない。
例えば、電話を掛けるにもナンバー登録になり便利になった一方で、覚えていたはずの電話番号さえ記憶から抜けおちてしまう。
仕事が忙しくなったことにより、家族を触れ合う時が失われてしまう。
たくさんのお金を得ることによって、謙虚さを失ってしまう。
最近よく目にするのがお金のブロックをはずすとか、全ては無限だから求めれば求めるほど生じるという盲信にとらわれている人々。
確かに求めれば求めるほど得られるでしょう。しかしそこに向うエネルギーの偏りは、あなたから大切なものを失わせる。
もちろん執着を切り離すことは素晴らしいことだが、そこが飛びだし過ぎると取り返しがつかないほどの大きなものを失うことも覚悟しておく必要があるだろう。
ブロックをはずすということは執着をはずすということなのだろうが、円のバランスも取りながら行うことだ。
お釈迦様が説かれた中道。
「まあるい円の中心をさぐり続け、かたよることなく、バランス取りながら」
不生不滅
生じもしないし滅しもしない。
生ずれば滅し、滅せば生じる。
全ては真ん中に保たれる。
不垢不浄
汚れもしないし浄まりもしない。
汚れたら浄まり、浄まったら汚れる。
すべてはバランスに保たれる。
汚染が過ぎると浄める力が働き、天災も生じる。
だがたとえ地球が滅亡しようとも、宇宙はまた違うものが生じ、形は変わろうとも今までのままに流転し続けるだろう。
我々は分をわきまえ、円を意識しながら生きて行くのみ。
与えられた自分の葉の色にゆっくりと変わっていくのみ。
自分ではわからないかもしれないが、皆で折り重なったその姿が、木を彩り、山をも赤く染めることになる。
紅葉は一枚ではならず。しかしその一枚が紅葉を作る。
もしかしたら紅葉のように美しいものではないかもしれないが、ただやわらかき円のままに生きて行く。それでいい。
小円相が大円相へと帰入することこそ、僕たちの喜び。
山地 弘純
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