電波が悪いので、携帯のメールがまた一日遅れで届いた。
いつも通り。よくあること。
ただ、その内容がいつもと違った。
「雄一郎君のお母さんが亡くなられました」
雄君は高校時代からのツレで、今でも一緒にサッカーをしている。チームのリーダーであり、世話好きで、人の為に動くことができ、僕はいつもすごいな~と思っている。
そんな彼のお母さんの突然の訃報に、僕は驚きを隠せなかった。ついこの前も会ったのに、お母さんの具合悪いなんて一言も言ってなかったじゃないか・・・。
一時からの告別式。
もうぎりぎりの時間だ。たまたま夕方の法事まで空きがある。どうしてもお参りしたい。
彼のウチは檀家ではないが、僕は黒の改良服に緑の輪袈裟を掛けて、車に飛び乗った。
開式30分前に着いた。
庭先に立っている雄君は、僕の姿を見つけると、「ヨッ!」と右手を上げた。僕はなんて声かけていいかもわからず、当たり障りの無い形式的なあいさつをする。
彼はいつも通り冷静にお母さんのことを話して聞かせてくれたが、目は真っ赤だった。思わず僕の方が込み上げるものを押さえきれなくなりそうになる。
グッと押さえて言う。「お母さんに会わせてな。」
霊前に進み、線香を一本立て、静かに般若心経を唱えた。その後、棺の小さな扉を開き、お顔を拝見する。
満69才か・・・
先生、早すぎるよ・・・
変わり果てたその姿を見て、思わず目をギュッと瞑り、手を合わせた。
僕は、雄君と出会う前に先生と出会っていた。
もう20年前になるのか・・・
あなたは中学校の先生で、僕は生徒だった。
僕の脳裏に当時の先生の姿が浮かび上がる。
先生は女子の体育の先生で、直接授業を教えてもらったことはないけど、よく僕に話しかけてくれた。とても優しい先生だった。
ま~、それだけなら特に思い入れもないのだけれど・・・
先生、棚行のこと、覚えていますか?
僕が車の免許を取って、初めて浜坂地区を回るようになったときのこと。あの日はギラギラとした太陽が照りつける暑い日だったと思う。
僕は、親から口頭で教えられた場所に、わかったつもりで行ったのはいいが、なかなかそのお宅が見つからなくて表札を見ながらウロウロするばかり。おっかしいな~と思いながら、何度も行ったり来たりしていると、「お~い!」と手を振る見覚えのある顔が・・・。
先生だった。
「家がわからないんです。」
と言うと、
「それならちょっとウチの仏壇を拝んでいって。」
と返され、僕も探していた家のことは置いといて上がりこむ始末。先生のお宅のお仏壇をおつとめした。
それが終わると、「冷たいもんでも飲んでって」と、よく冷えたお茶をごちそうになりながら、近況の報告と中学時代の昔話に花を咲かせた。
僕は、なんでたまたまそこで会った先生のウチに寄り道して、仏壇を拝んで、世間話をしとるんだろうな~と、すごく可笑しかったのを憶えている。
いらんと言うのに先生はお布施を包んで持たせ、僕が見つけ出せなかった家を地図で探してくれた。そこは、道を隔てて左側っていうことだけ合っていて、全く離れた場所だった。今思えば、間違えようの無い場所に迷い込んでいる。
帰り際、先生は「よく間違えてくださいました。」と言いながらお辞儀をした。そして、「また来てね!」とも言った。相変わらずの優しい笑顔だった気がする。僕は、多分「はい」と答えた。
だけど・・・
あれから一度も行っていない。
先生のお宅の近くに檀家さんはないし、慣れたら迷い込むこともなくなったからだ。それに浜坂は回る軒数が多く、本来は寄り道する余裕はない。
ただ、先生の言葉はずっと僕の中に残り続けていた。たとえ社交辞令だったとしても。
「先生、また拝みに来るって約束でしたね。
今日来ました。
なぜか僕、約束覚えてましたよ。
先生、忘れてたでしょう。」
返事をすることも、うなずくことさえも出来なくなった先生に、心で語りかける。
先生はあの時、なんで僕に「ウチも拝んで」って言ったんだろう。
ただ懐かしかっただけなのか、僕の成長を知りたかったからなのか、それとも僕なんかのお経がありがたいとでも思ったんだろうか。。。
その答えは先生だけが知っている。
お参りにはあれ以来だが、祭りの時などは何度かウチにお邪魔した。いつもあいさつ程度だったが、先生の元気そうな姿は見ることができた。
雄君が、自分の部屋にご馳走を運ぶ時、
「なんでも取ってくるから、好きなもん言いな。」とみんなに尋ねた。
僕は無いってわかってて言った。
「カレー!」
一度、サッカー練習の後にお邪魔して、残っていたカレーをいただいて美味しかった記憶があるからだ。
それを雄君が先生に伝えると、
「カレーはない。誰だ、そんなわがまま言うもんは・・・」
って返されたらしい。伝言なのでわからないが、きっと先生のことだから、ニコニコ笑いながら、しょうがないな~って感じで答えたんだろうな~って、僕はその時思った。
ただそれだけの話。
取るに足らないエピソード。
なのになんでそんなことがいつまでも忘れられないんだろう。
棚行のこと。カレーのこと。
大きく大きく膨らんできて、胸が詰まりそうになる。
たった2日の思い出。
それじゃあ毎日暮らしている家族はいったいどうなるっていうんだ。
雄君にとって、約12000日間母親でありつづけてくれた思い出があるのに。
うつむきがちな旦那さん。その分気丈に振舞う雄君。それを支える嫁のゆみちゃん。無邪気に笑う幼いゆなちゃん。僕は、その姿を目で追った。
やがて、3名のお坊さんが来られて、葬儀告別式が執り行われた。僕も勝手にそのすぐ後ろに座らせてもらい、自分なりの見送りをする。
他宗のお経はほとんどわからない。邪魔にならないように、ささやくような小声で理趣経をおつとめした。
なんとか最後まで我慢したが、座布団が分厚くて足がしびれてしまった。人間、どんなに悲しくったって静粛にしていたくったって、おなかが鳴るときには鳴っちゃうし、足だってしびれる。
立ち上がるとき、サッと立ててよかった。危なかった。。。
先生、もしかして笑ってませんか?
葬儀告別式が滞りなく終了し、棺の周りを囲んで、家族のお別れがある。
僕は家の外で葬送の行列を見送ろうと、先に外に出て道の脇に立つ。チームの仲間たちも来ている。
棺がいよいよ家から出ようという時、ポタッ、ポタッと、小さな雨粒が落ち始めた。悲しみに似た複雑な表情を浮かべていた空が我慢できなくなったんだろう。
誰かがポツリと言った。 「あ・・・涙雨だ・・・」
家族、親類の作った行列に囲まれて、棺の中の先生が運ばれていく。霊柩車のマイクロバスに先生と家族親類が乗り込むと、長いクラクションが鳴り響いた。この家から出発していく合図だ。
先生、今懐かしい人と会いましたよ。
男子体育の展久先生です。
「ちょっと逝くのが早すぎるな~」って寂しそうでした。
いろいろお話もしましたよ。
息子さんの名前、スキーの三浦雄一郎から取ったってほんとですか?
初耳です。さすがスポーツ一家ですね。
僕は再び目を閉じて、ゆっくりと頭を下げ、合掌した。
「いってらっしゃい、先生。」
バスは後ろを振り返ることなく、走り去って行った。
このあと火葬場で焼かれお骨となる。
雄君、「お母さん、熱いだろうな。」なんて悲しまないで。
もう魂と肉体は離れ離れになってるから。
肉体は、火葬してお骨になり、お墓の土に埋められる。大自然の大いなる温もりの中に。
やがて季節が何度も変わり、年月を経ていくうちに、いつしか土や草の声が聞こえてくるだろう。
「手をつなごう」「ひとつになろう」って・・・。
先生は、大自然に還っていく。
土に溶け、水に溶け、空気に溶け・・・。
あの『千の風になって』の歌詞のように。
ある時は鳥になってあなたを目覚めさせ、
ある時は星になってあなたを見守るだろう。
耳を凝らすと、風の中に先生のメッセージが聞こえるかもしれない。
「ずっとそばにいるよ。」
それでは魂はいったいどこに?
先生、もう今の世界とは全く違った世界に進んでいるのですか?
49日の闇路の旅に出るといいますが、もう旅しておられるんですか?
きっと家族に見送られた行列は、仏様に引き継がれているのだろう。家族の頭につけた白い三角の帯には仏様の文字が書かれている。
どうかこの行列の姿のままに仏の世界まで送り届けてくださいという、家族の最後に込めた願いは、仏様に届いているはずだ。
迷うことなんかない。
残された家族の立ててくれる線香のいざなう一本の道を、ただ辿って進めばいいのだから。
暗くなんかない。
いつもみんながろうそくの火で、明るく照らしてくれるのだから。
寂しくなんかない。
いつも位牌の前で語りかけてくれるあの人がいるのだから。
そう、旅路の果てに見えてきた光の先にあるのは、きっと素晴らしい場所。 そこは『仏の国』。
先生の信仰していた仏様の元。 僕も拝んだあのお仏壇の如き世界。
仏の国は、元の家族に会える世界って言われている。
先生にも、もちろんお父さん、お母さんがいて、おじいちゃん、おばあちゃんもいる。ひいおじいちゃんも。ひいおばあちゃんも。
先にこの世界に辿り着いた人たちが先生のことを待っていてくれる。
もしかしたら飼っていた犬や猫が、先生の足元にすり寄ってくるかもしれない。
先生は、きっとみんなから温かく迎えてもらえるだろう。懐かしい顔に囲まれて、きっと真っ先にお父さんが声をかけてくれる。
「いい人生だったな。いい家族と素晴らしい友人に恵まれてよかったな」
そして、みんなが口々に言ってくださる。
「少し亡くなるのが早かったけど、その分濃い人生だったな。」
「短いけど太く生きたな。」
「幸せでほんとによかったね。」
降り注ぐ先生へのねぎらいの言葉。
そこにはたくさんの笑顔が広がっているはず・・・。
そんな姿を少し遠くから、笑顔で「うんうん」とうなずきながら仏様が優しく見守ってくださっている。
そんな世界が必ずあるって、僕は強く信じている!
僕は死んだことがないからわからない。
でも、「信じるものは救われる」とか「念ずれば花開く」って言葉の通り、信じていれば必ずや仏の世界に辿り着けるって、僕は本気で思っている。
科学的根拠がないと言われようが、まやかしだと言われようが、ただ僕は信じている。
「親は死んでも子供のことが心配なんだ」
誰かがそんなことを言っていた。
先生も例外じゃないだろう。
先生、どうか雄君たち残された家族を温かく包み込んであげてください。
いのちは途切れることなく、いつまでも続いていく。
いのちに始まりはなく、終わりもない。
ただ、ゆっくりと姿を変えていく。
先生、お元気で。
いつか再び会いましょう。
その時には僕も、「いい人生だったね」って言ってもらえるように頑張ります。
美しい思い出話を持って、きっと会いに行きます。
それではまた。。。
コウジュンより 先生の新たな旅立ちに捧ぐ「いのちのことば」
(完)
山地 弘純
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