朝、お花と水を持って、坂道をよっこらよっこら登り、先祖代々のお墓にお参り。
カラカラに干からびた花を引き抜き、花立を取りはずして腐った水を捨てる。
新しい花を挿し、綺麗な水を注ぐと、なんだか気分もよくなる。
合計8個の花立を差し替える。
大きなやかん一杯に汲んで来た水もすぐになくなり、仕方なく水を汲みなおしに坂を下る。
また登るとなるとうんざりしそうだが、いい運動だと思って息を切らして往復した。
今度は水鉢の中を洗う。
石のお皿のように取り付けられているそれは、お団子などのお供えを入れるためのものだと昔は勘違いしていたものだ。
中は水垢でぬるぬるとしているので、指でしっかりこすった。
お盆にちゃんと洗ったのになどと思ってみるが、汚れるのはあっという間だ。
この水を亡くなった人たちに飲んでいただくのだから、しっかりと洗わなければ・・・そう思った。
あふれんばかりに水を注ぎ、澄み切った池を作り上げる。
その池の美しい水に指を通し、顔を洗ってほしい。
清らかなその滴で、ノドを潤してほしい。
そんな願いが届きますように。
前にあるお坊さんから聞いたことがある。
「これがあなたの心を映し出す鏡でもあるのですよ。」
その後、全部の墓石の頭の上から水をかけ、全体に滴らせた。
そしてお経を唱える。
みんなに「根を養えば」という話をした手前、僕自身その心を大切にしないとと思い、いつもより念入りにおつとめした。
「春彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」
「秋彼岸 菩提の実(さね)を 刈る日かな」
そう、今日から秋のお彼岸。
春に蒔いた種は芽を出しているかどうか。
大きく育っているだろうか。
鮮やかに色づき、たわわに実っているだろうか。
豊作か。
はたまた不作か。
自分自身の菩提の心を収穫する日。
お盆とお彼岸がごっちゃになってはいないだろうか。
お盆はご先祖様が帰ってこられる日。
逆に、彼岸は僕たちがご先祖さまの方へ行かなければいけない日。
「彼岸」とは字の通り、向こう岸、あの世のことである。
生きていながら仏の国のあの人たちと心を通わせれるような、そんな美しい生き方ができればいいのになと思う。
それが菩提の心なのではないだろうか。
心を彼の岸に向け、自分を省みる。
仏様の心って優しくて思いやりにあふれているんだろうな。
イライラもなくて、穏やかなんだろうな。
少しでもそんな心を持てるようになりたいな。
川の向こう岸で手を振っているあの人たち。
そこで待っててね。
今度は僕がそっちにいくから。
大丈夫。
生きたままに会いに行けるよ。
そのためには自分の心を浄化しなければ。
よい行いをしなければ。
「南無大師遍照金剛」
静かに唱えながら目をつぶって手を合わせると、そこは向こう岸なのかもしれない。
山地 弘純
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