スピリチュアルケアの試験の面接は、ひより塾で習った洋室のマナーを実践した。
でも動きがぎこちなかったからか、「緊張してる?」って先生から聞かれたけど・・・。
人一倍緊張するタイプの僕が不思議と緊張はしていなくって、「いえ、それがなぜか緊張していません」って答えた。
なぜだろう、とても静かに自分を見守れていて、用意していた言葉じゃなくって、湧き出してくる言葉を待っていることができた。
絶対受かりたいとか、絶対失敗したくないっていう意識がなくなってたのがよかったのかな。
もう資格なんて付録になってたから。
5年間の体験こそが財産で、僕はすでに得たいものは得ていた。
よく人は「人生これのおかげて変わった」とか一つの事柄を挙げて言うけど、多分一つだけじゃなくていろんな学びが重なりあって変わっていくんだと思う。
それでもやっぱりスピケアに対しては「これで僕の人生が変わった」って言いたい衝動には駆られている。
正面に座る三人の面接官の先生方。
それぞれから掛けられる質問は、5年間の僕の心のレコーダーを再生する旅でもあった。
他人のためにという行為が、自分の満たされない想いを埋めるのに使われていたこと。
導くのがうまくなくて、理路整然としゃべれず、切れ切れなお説教も苦手な僕が、そんなのできなくていいと、聞くということで初めて祝福をもらえたこと。
自身のスピリチュアリティーに嘘をつかずに生きたいってこと。
大下先生なんか、僕のフェイスブック見てるから、「奥さんと一緒に家出してどうだった?」とかも聞いてくるんだからたまらないよね。
でもあれが嘘のない自分への実践だったから、どこか聞かれて嬉しかったような感覚も否定できないけど。
最後に僕の提出したカウンセリングの事例を見ながら西川先生が言った。
「そんな経験があったから『1歩踏み込んだ受容』ができたんだね。この対話録には感動した」と。
山添先生も口を合わせる。
「これはシンクロニシティだ。40年間封印されていた強い怒りをあなたが引き受けた。なんというか、あなたはこれを聞くために僧侶になった、そう言っても過言ではないくらいのお互いにとって意味ある出会いだと感じられた」と。
僕もわかっていた。
あの日のカウンセリングは、僕にとって大きな大きな意味をもつものだと。
シンクロニシティ・・・か。
「意味ある偶然の一致」とか、「共時性」「同時多発」などと訳されるこの今流行りのワードで包まれると、なんだか身体が震えた。
新たな旅立ちへのエールの言葉ようにも感じた。
カウンセラーが偉いとか立場が上とか、クライエントが劣るとか下とかではなくって、上も下もなく、お互いの「話したい」「聞きたい」がまさに一致した出会いって、 ほんと奇跡的だし素敵だよね。
多分、「今すぐ答えが欲しい」「整理された知識や理論が欲しい」って人は、僕とスピリチュアルな部分で出会わないんだろうね。
三人の先生方に頭を下げる。
面接室から出る僕は、ドアノブの持ち方を「あれ、どうするんだっけ」とか思っている自分に笑みを浮かべていた。
なんだろう、この余裕。
ほんとに僕が僕じゃないくらい、相手の目の中に映る自分が見えるような、そんな澄み切った面接だった。
山地 弘純
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