2014年8月26日
講座No.7 SC援助論7 『震災とスピリチュアルケア』 黒田裕子先生
これを受けた直後に書いたレポート。
【1、テキストを読んで】
村瀬正光氏の「ビハーラ病棟では仏像に祈っている患者や家族の姿を見かけることは珍しくない。本人と仏像との間でスピリチュアルケアが行われていると思われる」という記述を目にした時、あ~そうか。祈りってそういうことなのか。とものすごく納得できた。
やはり自分が僧侶なので、説明できなかったものを言葉にして下さると、とても嬉しくなる。
また進藤喜予氏の「患者の言葉に自分が響き、その響きが患者の心を打つことがスピリチャルケアの第一歩なんだと気づいたからだ。そのためには自分の感性、スピリチュアリティを磨かなければならない。自分が感動し、泣いたり、笑ったり、悔しがったり、喜んだり、心をふくらませたりしぼませたりしながらやわらかな心を持つことが必要だと思う。毎日ささやかなことでいいから、目を向け、耳を澄まし、ワクワクすることを探している。」
という一文にも激しく心が揺さぶられた。
自分に足りないのはまさにこれだとエゴグラムの勉強時に知り、以降意識的に実践しようとしている僕にとって、「やわらかな心」という表現はほんとにぴったりで、素敵だと思った。
【2、講義で理解したこと 感じたこと】
黒田先生の40度もの発熱をおして全うしてくださった講義は、静かながらも熱気と迫力をヒシヒシと感じ、またスピリチュアル的な優しさも伝わった。
頻発する自然災害は、これ以降も収まる気配さえない。窪寺先生が「自然との和解」と表現されていたスピリチュアルに繋がるはずの大自然に、傷つけられ遠ざけられたような感情は、果たして再構築できるのだろうかと不安にもなる。それでも先生に勇気付けられた。災害時においてもスピリチュアルケアをもって支援にあたってくださるとすればどんなに救われるだろうか。
以前、東日本大震災の支援グループの方の講演を聞いた時、窮地に追い込まれて豹変した人とむき出しの感情でぶつかったお話を聞いた。「してやってんだぞ的な」けんかごしのやり取りなど、死線にあっては仕方ないのかなと無理やり納得しようとしていたが、もやもやとした気持ちが残った。
また、以前豊岡水害のボランティア活動中にやや関わった他の大手ボランティアグループの振る舞いのこともある。「こちらはうちの縄張りなんで手を出さないでください。」「そちらは手伝えません。」そんなやり取りには心底がっかりしたものだ。
ボランティアって何?
パフォーマンス?
支援する側の気持ちの押し付け?
自己を満たすために他人を利用してるの?
そんな思いを常々僕にとって、期待感と安心感が再び湧いてきたような気がする。
その講義内容はとてもリアルなものだった。
戸の開け具合、声の音量、顔の表情、手の動きなどから読み取り、それに応じた会話の考察をするという説明を聞いた時には、自分がどれだけデリカシーなく関わってきたのかと反省する思いになった。
これを知っていて子どもNGO懐で行った仙台でのカニ汁炊き出し支援活動が実践できていれば、もっともっと皆さんに寄りそえたかもしれないのに・・・。
言葉の掛け方もそうだ。ほんとにものすごく頑張っている段階で「頑張って下さいね」と言われた悔しさを先生が語られた時、僕も無償に悔しくて腹立たしくなった。
しかし僕らはこの言葉を正解だと思って乱発しているのだ。
糸の限界まで張り詰めて頑張っている人に対して、頑張ってと無責任に言うことはとても怖いことだと思った。
「お気持ちはよくわかります」
「お子さんのためにも」
これらもダメなのか・・・。今まで励ましの言葉としてはもっとも適切なものだと信じていた言葉だった。多分今までに何度も口にした経験がある。まさかこの言葉でも追いつめてしまうなんて・・・。
「本当に大変でしたね」
「よく頑張って来られましたね」
など、こういうのが言ってほしい言葉なのだ。
なぜ僕たち大勢は言ってほしくない言葉をわざわざ選ぶようになったのだろう。
もしかして寄り添うのが怖い?
もしかして深入りしたくない?
そうやって無意識に壁を作ってるのかもしれないな~と思った。
震災での心のケアの必要性はいろんなところで語られていることであるし、僕達がその一端を担えればと思うこともある。
しかし今のままではきっと心を傷つける言葉を気付かぬうちに掛けてしまうだろう。
「心のケアをしますなどと口にして入って来てほしくない」という先生の言葉もとても響いた。
一部だけを捉えず、全体を見ること。
一人一人の暮らしを見て行かないとスピリチュアルケアはできないというお言葉を、特に胸に刻んでおきたいと思う。
また、泣き場所の提供、カセットコンロの重用、薬の重要性、被災地に入るとまずトイレを見るというほどトイレが大切なことなど、まさしく実践的な情報も教えていただいた。
そういえば一昨年のお正月に雪害による村の孤立と24時間停電に見舞われたとき、湯たんぽがとても嬉しかったっけ、などと思い出しもした。
災害はとても怖い。
被災者の心と向き合うこともとても怖い。
だからその時はまずはトイレ掃除を頑張ろうと思う。
人間、地域、そして暮らし。
もっともっと日常からこのコミュニティーに目を向けて、いつかさりげなくどこにでも入って行けるような、やさしくてやわらかな心をもった人になりたいと思う。
先生どうかお体を大切に。
※黒田先生は、この講義の翌日に緊急入院。
そのまま帰らぬ人となられました。
阪神淡路大震災の献身的な被災者支援により
神戸のマザーテレサと呼ばれた黒田先生。
命をかけての授業は、僕たちの心に深く刻み込まれています。
最後の生徒になったという意味をかみしめているところです。
山地 弘純
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