おお!!!
めちゃめちゃかっこいい!!!
先生ではありません。今日の受講生さんなんです。
それだけこの受講に気合入ってます。
というわけで、4月26日は、森日和先生をお招きしての「和の心講習会」でした。
まさに、日本人であるこることの素晴らしさ、誇らしさ、喜びが湧き出してくるような素敵な時間でした。
扇子一つをとっても、わずかな時間では伝えきれないほどのメッセージが込められているということだそうです。
日和先生は扇子のことを「扇子先生」とお呼びして、奉っておられます。
扇子にも、お茶碗にも、全てのものにいのちを見るのです。
それは八百万の神々という日本の素晴らしい文化からきています。
いのちの扱い方をあなた方はどういう風に扱うのですか、と先生は問われます。
決して粗末にできない、片手で扱うものではないのですよと。
扇子を両手で構え、立たず舞う日和先生の姿はとても美しいです。
腕のラインは水が流れるがごとく、両手の中の空間は丸太を抱くようにということ。
滞らないよう流麗でいながら、しっかりと大自然を抱きしめているようにとその姿勢から伝わってきます。
小さく小さく振舞うことが日本の美しさだそうです。これは人にたくさんのスペースを使っていただくということに繋がるということです。素敵ですね。
自分のことだけを考えていれば一喜びにしかならない。
相手のことを考え、振る舞えば、それは二喜びにも、三喜びにもなっていくのだということ。
挨拶の時になぜ自分の前にお扇子を出しておじぎするのかというと、相手との間に一線を引く、境界線を侵さないということなんですって。
気を使い合うからこそ、そこの線引きは必要なのでしょうね。
受け渡しの仕方にも美しさが溢れています。
左手右手の順で片手を残しながら行うことにも深い意味があるのですね。
我々はエネルギー体ですから、両手でワッと取りにいくと相手を驚かせてしまうそうです。
ですからエネルギーを半分づついくという目に見えない優しさがあるのです。
これは賞状の受け取りの時に儀式的に残っていますが、本来はそんなわざとらしくなく、自然と相手に気付かれないようにやってさしあげるのが相手への配慮なのだそうです。
相手に配慮されてるな~とわかってしまうのは未熟であり、あくまでばれないようにさりげなく行うということです。
相手への心遣いというのは相手に気付かれないようにするものなのですね。見返りを求めると、どうしても相手にわからせようとしますものね。
僕ももっともっと自然体になりたいな~。
その他にも、
座布団先生から教わる相手を尊重する心。
口伝ということ、衝立の文化から教わる、聞く方、受け取るほうの責任であるということ。
大和言葉は一音一音に意味があり、神が宿り、いのちが込められているということ。
それらを先生は熱く熱く語り続けます。
休憩を取ることを忘れてるのではなかろうかと心配したくらいです。
かろうじて休憩ありました(笑)
僕は最近「我慢をしない」「自分勝手でいい」という学びを進めていました。
そして今日はその逆とも思える学びです。
「我慢です」「常に相手のことを思うこと」と、先生は笑顔で自然におっしゃいます。
今までの僕なら、その反対にも思える概念に戸惑ったでしょう。
しかし今はわかります。その相反する概念がバランスを取り合う中に、自分なりの真ん中が見えるような気がするのです。
我慢という言葉を聞いても涼やかな風のように捉える人と、ものすごい反抗心を表す人がいるように、言葉は捉え方で変わります。
これから世間では、さらに自己中心的で我がままな考え方が広まっていくでしょう。
それも多分他者を思うばかりで、自分というものが消えてしまった人たちにとっては必要な考え方なのでしょうし、僕はもう嫌悪感はなくなりました。
ちまたで流行っている御自愛から自己肯定感へのアプローチもなるほどと思いますし、僕自身今では参考にしています。
ただ、日和塾は多分そのアプローチではありません。
とにかく他人への思いやりの心を大切にという日本の美徳を守り、そこに誇りを持つことが自己肯定感に繋がると信じておられるのです。
「国家があってこそ私たちは幸せを実現することができるのです」
日和先生は言葉に力を込めます。
「国家とは国土のことではありません。
国民性、国柄のことです。
どうやったら国民性を失わずにいられるのでしょう」
「それは大和の言葉です。言葉を奪われるということは国家を奪われるということです。万物が太陽に向って伸びるように、日本語は、敬語は私たちにとって心の太陽なんです。」
それを聞いた時、僕の胸に熱いものが込み上げてきました。
自己肯定感。
そう、それは心に輝く太陽。
あ~、美しい言葉を使っていきたい。そう素直に思えたたのです。
日本人であるということ。
いのちを繋いてきてくださったご先祖様たち。
繋いできた、美しい言葉に美しい型。
それが自分の中で光を発しているような感覚にもなりました。
「自分は何者なのか。
自分のルーツを知り、自分の国を知ること。
日本の偉人たち。
それを受け継ぐ誇り、自信は目に見えないものですが、
それこそが確かな自己肯定感になるはずです。」
あ~、素敵だ~。
日和先生は輝いています。
きっと誰よりも日本人であること、和の民であることを誇りに思っておられるのでしょう。
「世界は一つのパズルだと思っています。
みんなが力を合わせ一つのパズル、一つの地図を作り上げていくのです。
最近感じることは、日本人なのにアメリカのパズルを埋めようとしているのではありませんか。
日本という国柄でしか生まれないパズルのピースがあります。
大事なのはしっかりと自分のピースを担うことです。
わたくしは子供さん方に日本を残したい。
皆さんに幸せでいて欲しいのです。」
もう言葉という言葉が、僕の体中にビンビンと響き渡っています。
感激です。
「しきたりの意味なくして残しているものはありません。意味がわからないからといって勝手になくしてはなりません。いのちを失うことになります。
日本の秘密兵器 『型』 と言われているくらいなんですよ。」
その言葉を聞きながら、僕はあることを思い出していました。
去年のちょうど今頃、僕はおたふく風邪で寝込んでいたとき、ある相談メールが飛びこんできました。
【ちなみにおたふく風邪のブログはこちら】
http://ameblo.jp/anzac76/entry-12029697383.html
(去年一番読まれた記事だったりします)
僕は40度の発熱。
そんな中、どうにも心の中のモヤモヤが消えず、 意味のないしきたりをただ続けることの答えを教えてほしいと聞いてきた方がいたのです。
僕はそのしきたりの意味を簡潔に答えた後、こう返しました。
「真摯に向き合っておられるのですね。ところで、○○くんのモヤモヤはどこに向けられているのでしょう」
「感情高ぶるままに書いたので、ちょっと冷静さを取り戻して恥ずかしくなりました。
モヤモヤがどこに向いているかですよね。
本質を伴わない型ばかりを大切にし、未来への責任をとっていないように感じる大人への不満と、変えていきたいと思いながらも出来るだろうか?という非力な自分への不安、
その2つでしょうか・・・」
「○○くんの文章を読んでいると、まるでかつて僕が書きたかったことを書いてくれているような気持ちになりました。
ただ最近は、型だけでも残して下さったことには感謝しているんです。 心をもう一度埋め合わせることができますから。」
「ありがとうございます!
型だけでも残して下さった・・・のくだり、 目の覚めるような思いで読みました。
まさにそうですよね。 それだけでもとても大変なことなのに。」
日和先生のお話の声が一瞬遠ざかり、そんなやり取りの一部分が僕の脳裏に鮮明に浮き上がってきたのです。
そうだった。
僕は型の中に心をもう一度埋め合わせたいんだった。
それを再確認です。
すご~い、これも繋がった~。
その瞬間にふっと僕の中に浮かんできた台詞です。
「はみ出すだけが自由じゃない。型に入るも自由なんだ。」
その美しき日本の型、日本の言葉、日本の心を、もっともっと深く学んでみたいなって思える、素晴らしいプレ講座でした。
日和先生、けふはどうもありがとうございました。
わたくし、とっても嬉しゅうございました☆
山地 弘純
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