3年前、僕のささやかな夢が実現した。
それは家族みんなで旅行に行く夢だった。
「誰ひとり欠けることなく、全員で!」
その強い想いは、ついに叶えられた。
その時の記念写真は、ずっと奥の和室の長押(なげし)の上に飾ってある。
それを見るたびに、僕は幸せな気持ちになれたんだった。
しかし、その後もう一人女の子に恵まれて、いつしかその写真では僕の想いは満たさなくなってしまう。
「誰ひとり欠けることなく、全員で写った写真」とは、言えなくなってしまったんだ。
そのたった一人欠けた存在は、成長するにつれてその写真を見て、ぽつりとこんな言葉を漏らすようになる。
「あいちゃん、いないね。」
実はその旅行の時に妻の体調は思わしくなく、帰ってみて妊娠検査薬で調べてみると、なんと妊娠が判明したというエピソードがある。
だから、「あい、あなたもこの時に母ちゃんのお腹の中にいたんだよ」と、言って紛らわそうとしてみた。
無邪気な三女はそれに対して「そうか~」と、わかったのかわかってないのかわからないような返事をするけれど、でもやっぱりそこに三女の姿がないことがどんどん大きな心の凹みになってきていた。
最後の力を振り絞ってと、三年前に93歳にして四国までなんとか連れだしたおばあちゃんは、96歳でいまだ健在だった。
「やっぱりおばあちゃんも、そして一番下の娘も、8人でいる間にもう一度家族旅行に行きたい!」
そう思った僕は3年前と同じ9月の時期に、再び計画を立てた。
下旬に二日間に空きを作り予定を押し込む。そこだけしかどうしても一泊二日はとれないっていう場所。
いや、厳密には僕の仕事の予定が入っていたんだけど、どうしてもこのタイミングを逃すと行けないっていう感覚があって、他の人に仕事を代わってもらった。
今までの僕なら優先事項は仕事だっただろう。
でも今の僕は、プライベートを優先することだってできるんだ。
ただ、おばあちゃんはめっきり車に弱くなってしまっていた。
「もう遠方には行きたくない」と主張する中でごり押しすることもできず、あきらめるしかないのかなって思ったけれど、なんとか城崎まで足を伸ばしてくれることを約束してくれた。
片道一時間半ほどのほんとに近場への旅行。
それでもいつもと違う場所で家族と過ごすということは、とても素敵なことになるだろう。僕は期待を膨らませた。
当日までに、ちょっとした本気度のずれはあった。
「予定入れるべからず」と書いてあったにも関わらず父は予定を入れ、ちょっと喧嘩するという出来事もあった。
いや、僕が一方的に腹を立てるだけだったんだけど・・・。
「もう、その予定、断ってよ!!」
そう言って口をとがらせる僕の勢いに真剣な気持ちを感じたからか、父はどうやらそれを断ってくれたようだった。
そしてその日を迎える。
9月28、29日。なんとかお葬式もなく、無事に出発できる。
前回の7人から1人増えての8人家族旅行の実現に、僕はうきうきだった。
浜坂にいる親戚のおばちゃんに留守をお願いして、家を出る。
しかしお寺の門を出ようとするところで、立て続けに思わぬ2組の来客がある。
僕は「いつもそんなに人来ないのに、なんでこんなときに限って・・・」と少し落ち着かない気分になっていた。
僕はやはり遊びに行くっていうことに罪悪感があるんだなって思う。
それを見事に吹き飛ばしてくれたのは、子供たちだった。
その少しの時間差で来られた2組のお客さんに向って、その都度3人が大きな声で嬉しそうに叫ぶ。
「今からね~、家族旅行に行くんだよ!」
「うわ~やめてくれ~」という思いが僕の中に湧きあがってくるのを確認したけれど、同時にこんなメッセージも聞こえて来た。
「そんなことをもう気にしなくてもいいんだよ。堂々としてろよ。」って。
渋い顔をしている両親たちの顔を見ながら、「いいぞ~、どんどん言え~」と、いつしか応援するかのような僕がいた。
我が家は隠そうとする。
それは家族旅行をしたくてもできない人のことなどを考えるからなのか。いや家族旅行などの気分になれない人のことを考えているからなのか。
いつお葬式の入るかもしれない毎日の生活の中で、自分の幸せを表現してはいけないような考え方が染み込んでいるようにも感じる。
震災があった時、日本中が楽しいイベントを自粛するような動きがあった。
それと同じように、人前では慎ましく、幸せを包み込んで素直に表現できないような風潮があるのを、僕は家庭内に感じていた。
檀家全てのお宅の葬儀に対して喪に服してたら、一生幸せなど表現できないよ。
僕は僕の楽しいこと、嬉しいことも、真っ直ぐに表現したいよ。
遊びをおおっぴらにできないなんて、おかしいよ。
僕の心は、ずっとそれを訴え続けていた。
ふと思い出したことがあった。お正月にお寺にお客さんがあって、僕は「明けましておめでとうございます」と丁寧にお辞儀して挨拶をしたシーンを。
相手は「あ~どうも」みたいな誤魔化したような返事をした。
あとで母親から聞くところによると、その方は親を亡くされお葬式の相談で来られていたのだったそうだ。
「おめでとうじゃないじゃないか・・・」と、僕は身が縮むような恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
そんなこともあるから無理もないのかもしれないな。
そういう経験の積み重ねが、もしかしたら我が家の家風を作っているのかもしれないな。
そう思う一方で、家族に新たな風を吹き込みたいって思う出来事も思い出された。妻が子供を妊娠した時のことだった。
もっと喜んでもらえると思ったのに、家族みんなになんだかあまり喜んでもらえなかったような気がしたと、後日妻が悲しそうに話した。
これは子供がなかなかできなかった妹に遠慮していたからというのが明白で、そう妻にも言い聞かせたけど、なんとなく複雑な気分が残った。
そして妹が子供が授かった時の家族のすごい喜びようを見ていると、なんだか妻に申し訳ないような気持ちが押し寄せたんだよね。
いや、なにより僕自身が家族みんなと同じように気持ちを控えてしまったこと、それが悔しかったんだ。
だから僕は、これからは遠慮せずに「嬉しい」「楽しい」「最高」ってことを表現したいって、本当に強く思う。
だから子供たちが嬉しそうにお客さん相手に吹聴して回る姿が、僕への応援メッセージなんだって思えた。
ありがとう、真っ直ぐな心を伝えてくれて。
そうやって僕も堂々と家族旅行をさらけ出すよ。
祖母や両親の時代から背景から成るその考え方を変えてやりたいなんて気持ちは、もうほとんどない。
だから親世代がそれを隠そうとすることは仕方ないって思う。
ただ、僕らは僕らで新しい価値観を築いて行けたらな~って思っているから。
他人に気を使って自分の気持ちを押さえるより、まずは僕は自分の気持ちの方を大切にしたいから。
子供たちにもその制限をしたくないし、その素直な気持ちをできるだけ奪わないようにしたいって僕は思うから。
そんなこんなで出発からいろいろ感じながらの旅となった。
車は前回7人乗りの車一台で行けたのに、今度は分散して二台で。
僕たちが30分ほど先に到着して、その後で父さん母さんばあちゃんと現地で合流するというプランになった。
まずは妻と子供たちと5人で、お土産物屋を見て回ったり、四所神社へ参拝したり、城崎の町をぶらぶらとした。
そして昼食を待ちきれない子供たちをなだめるため、カフェでアイスを食べていた。
コンコンっとガラスをたたく音がして窓の方を見ると、お店の外に母さんとばあちゃんの姿が。
「おお、よく見つけたな」って僕はその程度の感想だったんだけど、子供たちはもう大興奮。
「おばあちゃん!おばあばん!」
「うわ~い、うわ~い!」
まさかこんなところでみんなで一緒になれるなんて思ってもみなかったんだろうね。
特に三女のものすごい喜びように、やっぱりこの旅が実現できてよかったって改めて思った。
三女はおばあちゃんと父さんに挟まれて手を繋ぎ、踊るように歩いた。
長女と次女は笑顔で母さんを囲んだ。
子供たちは手を離れて、僕たち夫婦は手を繋ぐことだってできたよね。
水族館も楽しかったし、錦水ってお宿もとっても素敵だった。
夕方から降りだした雨で夜の温泉街ぶらり歩きは少し大変だったけど、それでも十分満喫できた。
一泊して朝食をとって、少しお宿でのんびりしてから、両親祖母の三人とは別行動することになったんだけどね。
それでも僕は十分満足した。
こうやって家族の関係性が少しづつ変わっているような気がして、僕はとっても嬉しかったんだ。
家族ってなんだろう。。。
この写真を見返しているだけで、なんだか涙が出そうになるんだ。。。
(つづく)
山地 弘純
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