自我執着に向き合う 12
人は自分の本音に疎いもの
丹念に丹念に紐解いていかなければ、心は簡単に見誤ってしまう。
なんども問いかけ、なんども聴くことを繰り返していくうちに、つかみどころのなかった自分の本音にたどり着けるのかもしれない。
本音とは浅はかなものではない。
いろんな思いが交錯し、いつしかぐちゃぐちゃにねじれたり、歪めたり、蓋しちゃったり。
自分の本音。
そう、本の音はひねくれてなくて、澄んでいて、小さな声だったはず。
目を瞑り、湧き上がる感情に考察を進めながら、ただただ何度も自分の心に問いかける。
なぜねじる必要があったのだろう。
なぜ歪める必要があったのだろう。
なぜ蓋する必要があったのだろう。
なぜ小さかったはずの声が、こんなにも荒ぶる叫びへと変わってしまったのだろう。
思い出したキーワード「天邪鬼(あまのじゃく)」
僕はかつてそう言われたこともあった。
いつの間に言葉を直球で投げれなくなったのだろう。
茶化してじゃなきゃ伝えれなくなったのだろう。
言われるほどに、したくなくなってしまったのだろう。
ふと何かに気付く。
そしてそれは今を変えられるほど大きなものである時もある。
ずっと変えたくても変えれなかったものが、深層にたどり着いたとき、そうだったのかとふっと弛み、ほどけていき、静かに変わり始める。
瞑想。
聴き手は自分自身。
答えるのも自分自身。
人に対してよい聴き手になるということは、イコール自分に対してよい聴き手になるということなのだろう。
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山地 弘純
住職
真言宗のお寺『善住寺』の住職。瞑想誘導、心の相談、陰陽統合セッション、カウンセリングなど心の寺子屋としての活動に力を入れる。夏休みの寺子屋体験、春休みのお遍路体験など、子供たちの集まる企画も大人気。大人も子供も笑顔をいっぱいに表現できるフィールドとしてお寺を活用していくべく邁進中。ブログは自己の気づきを綴る中に、生き方のヒントとして発信している。
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