苦しいんだよね。
逃げたいんだよね。
それでも逃げ出せないんだよね。
逃げたくないのかもしれないね。
苦しみを生む原因ってなんだと思う?
仏教ではね、「私自身に自我があるっていう執着」が生みだすんだって。
ないんだよ。
でもね、人はそれを手放せないんだよね。
だったらこの今ここにあるものは一体なんだっていうの?
喜んだり怒ったり悲しんだり楽しんだりっていうこの素敵な感情は嘘だっていうの?
自我はここにある。
自分を大切にしなくちゃ。
うん、僕もそれでいいと思う。
自分から苦しみに向うというのも素敵じゃないか。
苦しみこそ人生の醍醐味だもの。
人間に生まれたその全てを味わい尽くせばいい。
この世の真理はずっと流れ続け執らわれのないものだけど、その流れと逆方向へ必死に泳げばいい。あがけばいい。
それはとても素敵だ。
苦しいけどね。
でももしどうしても泳げなくなったら、
もしその苦しみに負けて溺れてしまいそうになったら、
そっと自我を手放してみたらどうかな。
とっても苦しい人って、多分自分と他人との間に、大きな垣根を積み上げていってるんだと思う。
自我が強い人ほど苦しいよ。
本来ないものに境を作っていってるんだもの。
こんなお話を聞いたよ。
おじいちゃん最近悔しかったことってなんですかって聞いたら、仲良くしてた近所のおじいさんが家を建てたことっておっしゃった。
それじゃあ最近嬉しかったことってなんですかって聞いたら、その新築の家が火事で焼けたことって答えたんだって。
みんなはこれ聞いてどう思う。
こんなことを思うなんて最低だって思うかな~。
それともわかるわ~って思うかな~。
僕はね、恥ずかしながらわかるかもしれないって思ったよ。
思い返してみるとね、自分を守るために何度ドロドロした汚らしい感情が湧いてきたことだろう。
やっぱり自我なんだよね、澄み切った感情を邪魔する存在は。
この自分と他人との垣根が高い人ほど、比較して羨んだり妬んだりするんだ。
僕はきっと自我が強かった。
とにかく自我を守ろうとしてきた。
まずは認めることだよ。
ここには自我なんてないんだ。
この私の体の中に囲いこむものはなにもないんだ。
捨てよう。
その中に溜めこんだ妄想を。
手放そう。
怖がらずに。
もっとも手放し難く、もっとも大切にしたいもの。
それが自我。
だからこそ手放す。
だからこそ委ねる。
すると楽になる。
でも進んで苦しみたい人に、無理には勧めないけど。
この世に生まれてきたのに、苦しみから逃げてなんとする。真正面から向き合ってその苦しみを満喫するのだという人には、ほんとうに頭が下がる思いがするよ。
ただね、苦しみを抜き、楽しみへ変える根本的な方法はこれだってことは知っておいてもいいはず。
言霊の力で前向きに変えていく方法もあると思う。
他の事をして発散する方法もあると思う。
でもね、それって所詮枝切りなんだよね。たとえ何度枝を切ろうとも、幹を切らない限り何度でも苦しみの花は咲いてくる。
だけど今まで自分を支えてきてくれたこの幹を切れって言われても・・・。
切れないよね。
だからだましだまし枝を切りながら人はいくんだろう。
自我。
これが苦しみの本体。
作り上げた幻想。
この「自我への執着」が、心の悩み、さまざまな問題を再発させている病巣であると仏教では説く。
自我はあるんだ。ないなんてそんなはずはない。
そう思ってきた僕が、今ようやく無我を認めようとしている。
ないんだよな、そんなもの。
勝手に囲いこんでるだけなんだよな。
穴の空いたバケツに、必死で水を貯めようとしてんだよな、僕らは。
自分を正当化したい。
自分を守りたい。
他人とは違うこの聖域をおかさないで。
そんな思いが苦しみを生みだしてるなんて思いもしなかった。
でも確かにそうだ。
周りを見ても、自我が強い人ほど周りとの軋轢を生みだしてるように思える。
自我執着をなくすことはできないかもしれないけれど、せめて弱めたいなって思う。
全てのいのちは繋がっているのだから。
山地 弘純
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