それが鍼治療だった。全身に打ち込んでもらう鍼で、ずっとこわばり続けた体がわずかにゆるみ、その夜やや眠りを得ることができた。もうこれしかないと思った僕は、月に3、4回くらい鍼灸院に通った。待ちきれないほどの思いで通院の日を待つ。
先生は治療しながらいろいろと教えてくれた。「この筋が張っていると眠れないんです。」「首や肩が凝っているからと行ってそこだけほぐせばいいって言うものじゃない。体全体からほぐしていかないとダメなんです。こんな足の先の神経が首に繋がっているのですよ。」「鍼やお灸などの東洋医学は、あなたの体にある自然治癒力を高めていくのです。」
いつしか僕は、体の神経がどう通じているのか、なんとなくわかるようになっていった。「鍼に来れない時には、ストレッチなどで体をほぐしてみてはどうですか。」
僕は今までにもストレッチなどで体をほぐそうとしたことはあった。しかしうまくいかなくて断念していた。
だけど今はなにかしらのイメージがある。よし、今度は体の発する声に耳を澄ませながらやってみよう。そう思った僕は、何冊か本を買ってきて自力で学びながら行うことにした。
そのうちにストレッチからヨガへと僕の取り組みは変わっていっていた。呼吸を大切にし、体と会話するヨガは、僕に合っていた。毎日毎日お風呂あがりに一生懸命体と向き合う。一日たりとも欠かすことない僕の姿勢に家族も感心するやらあきれるやら。
僕は「追い込まれれば誰でもできるよ。」などと言いながら、人一倍堅くこじれた体を、少しづつ少しづつ解きほぐしていく。一進一退の作業だったが、少しでも柔軟さに変化が見られると嬉しくてたまらない。体中の凝りはなかなか取れなくても、悪化からわずかでも良化へと向かっている実感が気持ちを前向きにした。
それからだろう。薬に対する依存心が薄れていったのは。今日は飲まずにヨガだけで寝てみよう。今度は2日薬を飲まずにいこう。あ、やっぱり眠れなかったから今日は薬を飲もうか。
ほんの少しの心の余裕。頼れる物が一つだけじゃなくなった。
それから僕は、八年間毎日欠かさずにヨガを行った。長い夜が終わり、眩いほどの朝日が差し込む。
本当に長く苦しい戦いだった。そう、僕は不眠症を過去形にできるほど、心も体も回復することができたのだ。これまでの日々が信じられないほどに、包み込むような眠りが僕の全身を癒し続けていた。
ヨガが引きだした僕に備わる自然治癒力。僕の心があきらめかけた時も、体は必死に生きようとがんばってくれていたんだ。そう改めて思うと、自分の体の奥底までが愛おしくなる。生かされているんだよな、僕は・・・。
それによく考えると、ヨガは仏教そのものじゃないか。僕は申し訳なさに首をすくめる。と同時に込み上げてくる静かな喜び。
なんてことはない。僕はあれだけ怒りの矛先を向け、完全に否定しようとした仏教に救われたんだ!
もし僕がサラリーマンだったとしても、自分の性格からしていつか眠れない時がやってきたに違いない。そしたら多分僕は乗り越えられなかっただろう。きっとお坊さんだったからこそ乗り越えられたんだ。
この頃、間もなく迫る大行事に向けて、みんなが突き進んでいる真っ最中。来年行われる善住寺御本尊大日如来様の御開帳まであと一年を切っていた。
初めてこの十年を振り返ることができた僕は、きっぱりと不眠症の克服を宣言をした。もう大丈夫だ。
まさにこの時、僕の全ては御本尊様に繋がった。
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山地 弘純
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