お寺には様々な人々が悩みを持って来られる。僕になにができるだろう。何もできるはずない。自分の弱ささえ克服できない僕に、人の悩みを聞く資格なんてないじゃないか。
その頃の僕は、どんな人を尊敬するかって聞かれたら、「みんながわいわいガヤガヤしている真ん中で、グガ―グガ―と眠れる人!」って答えただろう。そういうタイプの人に対して、あまりいい印象を持っていなかった僕が、羨望のまなざしでその人を見つめる。僕は相変わらず眠れなかった。
修行を終え、自宅に帰れば全て元通りに体が戻るものだと信じて疑わなかった。しかし僕は睡眠がろくに取れず、苦しみはさらに深まっていく。
いくつもの病院に通い、いくつもの科を受診した。精神科、心療内科、口腔外科。注射もすれば、カウンセリングもしてもらった。噛み合わせが悪いんじゃないかと歯形も作ってもらった。
それでも不眠症はよくなる兆しがなく、増え続ける薬に頼る日々。たしかに薬を飲めばある程度は眠れるが、それでもどんどんおかしくなっていく自分の体と、それに伴う恐怖で押しつぶされそうだった。
体のこわばりはより一層進行し、顔の神経にもひくひくと影響が出てくる。口もうまくまわらなくなり、言葉を噛みまくる。
ある日、急に耳がふさいだ。声が遠くで聞こえる。出口が見えないどころか、徐々に悪化しているという絶望に苛まれ、毎日毎日とても怖かった。
なんでこんなことになってしまったんだろう。全ては専修学院での修行から始まった。お坊さんにさえならなければ、あの修行さえしなければ僕はこんなことにならなかったのに。
なにが仏教だよ。人を救うどころか、僕をこんなに苦しめて。やり場のない怒りやの矛先は、理不尽にも自分がお寺の後継ぎであったことにさえ向けられた。
辛さのピークの時のことだった。心配する母に向って、「もうどうなったっていい。僕なんて生きてたって意味ないんだ」。そんな言葉さえ吐き捨てたと思う。死んだら楽になれるんじゃないか、そんな思いが頭をよぎった瞬間だった。いやその時だけじゃない。眠れずに朝を待つ間に、何度想像したことだろう。
僕は、信頼していた睡眠導入剤が効かなくなって自暴自棄になっていた。
そんな僕に母は、「今の薬が効かなくなったら次の薬がある。それが効かなくなったらまた次が。だから心配しなくてもいいよ」と、やはり不眠に悩まれた方がお医者さんから言われた時の例え話を出しながら、僕をなだめてくれたことを覚えている。その言葉でも、少し心が軽くなった。
なんでもいい。逃げ道が欲しかった。まだ大丈夫だと言って欲しかった。すぐ不安になる。だから何度でも前向きな言葉をかけて欲しかった。人前ではなんとか正気を保ちながらも、夜一人になると心が折れそうだった。親もなんとかして治してやりたいと、心を痛めていたに違いない。
藁にもすがる思いで、整体や睡眠術療法、鍼灸など、様々な治療を受けていく。全て徒労に終わったのか。いや、この中でたった一つ、僕に小さな光を与えてくれるものがあった。
何をしてももうダメだと虚脱していた僕の体に、あきらめるなと働きかけるかすかな響きが。
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山地 弘純
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