夜が来るのが怖かった。
また深い闇に飲み込まれ、自分の心臓の音と闘わなければならない時間がくるのか。
苦しい。
つらい。
今日はどうしても眠りたい。
ハルシオンを飲んだ。
またやってくる、グルグルと目が回る感覚。
眠りがやってきそうな寸前、心臓音がそれを上回る高鳴りで爆発する。
ついに、睡眠誘導の波の頂点を乗り越えた瞬間だった。
これより強い眠気の波はもう来ず、残されたのは全身に走る緊張、こわばり。
にじみ出る冷や汗。
僕は思わず薬をもう一個飲み込んでしまっていた。どうかしている。
厳しい薬を2錠も飲むなんて、正気の沙汰ではない。
とにかく眠りが欲しいという一心だった。
眠りたい!
なのに眠気をもよおさない。
全くグルグルとした感覚がやって来ない。
代わりにやって来たのは別のものだった。
うっ。気持ち悪い。
胸のむかむかを感じてトイレに走る。
僕は便器に向かって嘔吐した。
どうやってここに来たんだろう。
気がつくと、僕は寮から出て、門の前に立っていた。
ここから抜け出したら、この苦しいのが治るかもしれない。
もう修行なんてどうなったっていい。
もうこの門を出てしまえば全て終わりだ。
一歩外に踏み出せば・・・。
この右足を踏み出せば・・・。
しかし思いとは裏腹に、足が固まって動かない。
僕はしゃがみこんだ。
ダメだ。ここで逃げちゃダメだ。
闇に包まれた寮の廊下。
かすかにさし込む月明かりを頼りに部屋に戻った。
全てが寝しずまった深夜の宝寿院はとても静かだった。
ペタペタと、僕のはだしの足音だけがむなしく響いていたのを憶えている。
翌朝も胸の悪さは治まらず、そうじ中、わずかに胃の中に残っていたものを廊下に戻してしまった。
僕は誰かに抱えられて、部屋の布団に寝かされた。
そうじが終ると朝食だが、僕はそのまま部屋で横になり、目をつぶっていた。
もちろん眠りが訪れるわけもない。
コンコン!とノックをする音がして、寮監さんが入ってくる。
僕の朝食を届けてくれた。
寮監さんが僕の顔をのぞき込む。
「大丈夫か?」
「・・・・・。」
僕は大丈夫ですと答えられなかった。
つらいです、もうダメです、そう口に出そうになった。
「この後、できるか?」
「・・・・。」
僕はこれにも答えられない。
しばらく休んでろって言ってもらえればどんなにいいか、そんな思いも頭をよぎった。
しかし、もちろんそんな甘い言葉など出てくるはずもない。
「じゃあ、リタイアするか?」
え・・・。リタイア?
その言葉を聞いた瞬間、不意に込み上げるものがあり、ぶわっと涙があふれた。
同時に、父さん、母さん、じいちゃん、ばあちゃん、そしてあんなに喜んでくれた檀家さんたちの顔が浮かぶ。
「できません!! 僕がお坊さんになるのを待っててくれる人たちいるのに。」
僕はあふれ出る涙をぬぐいながら、必死に声を絞り出した。
みんなに悲しい顔はさせたくない。
僕が修行をやり遂げることを信じているのに。
幻滅させたくない。
リタイアなんてできない。
寮監さんは静かに「そうか、じゃあ頑張れ。」と言って、部屋を出て行った。
押し潰されそうな不安と、気分の悪さを胸の奥に押し込み、僕は体を起こした。
再びみんなと一緒に行法に向かう。
毎日毎日、僕はぎりぎり踏みとどまっていた。
山地 弘純
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