いいご縁がほしい。
たくさんご縁がほしい。
自分にとって有益なご縁がほしい。
そんな声をよく聞きます。
欲しい。
もらいたい。いただきたい。
言い方を変えても一緒。
「いいご縁を欲しい欲しい欲しいってもらうものじゃなくて、こちらがいいご縁を与えてあげれるような、そんな生き方をしなければならない。」
林覚乗先生の講演で聞いたことだった。
そんな言葉を体現する出来事があった。
小豆島八十八か所霊場の洞雲山へお参りした時のことだった。
洞雲山は小豆島八十八カ所の第一番霊場である。
よくこんなところに建てたな~という、岩の中にあるお寺の奥の院であり、もともとは山岳修行の道場なのだろう。
我々お遍路さんは、御本尊様の前でお賽銭を入れて、読経するのだが、お賽銭箱の上には、やや大きめの壺が置かれている。
「この中より五円(ご縁)を一枚だけお取りください。」
僕は毎年お参りした時にはここの五円玉をいただいて帰るようになっていた。
この壺の中に手を入れる、きっとたくさんの五円玉が入っていたのだろう。
みんなが嬉しそうに五円玉を財布の中に大切にしまう姿があった。
しかしここ数年、まったくといっていいほど、五円玉が入っていなくなった。
誰もが「ない」「ない」と口々に言った。
ついに誰かがこの山の管理をしている住職さんに怒りをぶちまけた。
「五円を取れって書いていながら、ここの壺の中には五円が入ってないじゃないですか!」
かなりお年を召したおじいちゃんの住職さんは静かに答えた。
「入れないから入ってないんだろう。」
その言葉を聞いて、みんなが絶句した。
多分みんなが様々な捉え方をしたと思う。
あるものは、なにを言ってるんだ、あなたが入れないとダメだろうと思った人もいるだろう。
おじいちゃんだし、仕方ないな~って思った人もいるだろう。
僕はその言葉の深さに、驚いたのだった。
「あ~そうか、そういうことか!」
僕たちは五円をもらうことしか考えてなかった。
そうだ僕たちが五円をほかの人にあげようという考えなどまったくなかった。
みんながもらうことばかり考えていたら、それはお寺の人がいくら五円を一人でくばったとしてもあっという間に尽きてしまう。
そうだ僕が五円を入れればいいんだ。
次の年、そのことを忘れなかった僕は多めに五円玉を持って行って、みんながお参りする前にそっと入れた。
うちの団体のみんなが五円玉を手にして嬉しそうな顔をしている。
また、その後やってきたヨソの団体の人たちも同じように五円玉を「あったあった」と喜んでいる。
そういうことだったんだな。
この五円の壺は、実は僕にこの世の中のご縁の法則を教えてくれたのかもしれない。
それ以来僕はうちの団体の人にはこういうようにしている。
たくさん五円を入れろとはいいません。
一枚だけでいいです。
あなたの五円をほかの人にさしあげてくださいね。
そしてあなたは他の人の五円をいただいてください。
これが小豆島であった五円のお話。
「林先生、僕はわかってませんでした。
やっぱり欲しい欲しいって心ばかりが自分の中にありました。
これからはいいご縁を他の方に与えてあげれるようにしたいです。
自分を磨き、ほかの誰かにいいご縁を。」
山地 弘純
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