「親は死んでからも、子供のことが心配なんです」
ある初老の女性から、法事の席で聞いた言葉だった。
僕はその言葉が、ずっと深く焼き付いている。
2月15日。
河の流れは音を止め、吹いていた風もぴたりと止んだ。
鳥や虫たちも息をひそめ、天地すべての時が止まったかのようだった。
空には満月が輝いている。
周りに伸びた4本2組の沙羅双樹の木は、常緑樹のはずが白く変色してしまった。
そこはクシナガラの跋提河のほとり。
お釈迦様は北を枕にし、体を西側に向けて、横たわっておられる。
お釈迦様の最後に立ち会おうと、大勢の人々が駆け付け、枕を囲んでいる。
あるものは呆然とし、あるものは嘆き悲しんだ。
特に、いつもお釈迦様のそばにおられた阿難尊者は気絶してしまわてた。
食べ物を差し出しているのが純陀。
彼のごちそうしたきのこで中毒を起こしたことを深く悲しみ、替わりの食べ物を差し出そうとしている。
足元にいるのが須跋陀羅。
120才までずっと待っていた彼に説法しようとお釈迦様は最後の力を振り絞られた。
長きお釈迦様45年の旅の労をねぎらい、足をさすってさしあげている。
お釈迦様の最後の説法を聞こうと、たくさんの」動物たちも集まった。
普段は食べたり食べられたり、ケンカしたりの動物たちが、この時ばかりは争うことなくそばにいて、悲しみを共有している。
空の上には、雲に乗ってかけつけようとする方たちがある。
天女に守られた、お釈迦様のお母様の摩耶夫人だった。
なんとしてもお釈迦様の命を助けたいと念じた彼女は、天上からお釈迦様に向って薬を投げられた。
残念ながら彼女の投げた薬は沙羅双樹の木の枝にひっかかってしまい、お釈迦様に届くことはなかった。
しかし、その思いはきっと届いたのだろう。
現在もお医者さんが薬を出すことを「投薬」という。薬を投げるなんて、なんて乱暴な言い方だろうと思う人もあるかもしれない。しかし薬を投げてまでも助けたいという母親の思いから来た言葉がこのお釈迦様の涅槃からきていると知れば、本当に素敵な言葉だと思うはずだ。
お釈迦様は最後におっしゃった。
「生者必滅 会者定離」
命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れることになる。
沙羅双樹は常緑樹なのだが、8本のうち4本がお釈迦様の入滅とともに白い花を咲かせたという。
「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」
平家物語の有名な一節もここから来ているそうだ。
「四枯四栄」
四顛倒(無常・苦・無我・不浄)の現世では樹は色を失うが、仏や涅槃の境涯である四徳(常楽我浄)にあっては樹はますます勢いを増して育ち続ける。
涅槃図は本当に深いものだ。
死を迎えるにあたっての心構えをも示しているのかもしれない。
誰にでもこのような死は訪れる。
周りの人々は悲しみにふける。
全ての世界が止まったかのような感覚も受けるはずだ。
そんな中で、大切なものは目に見えるものではない。
優しさ 温もり 愛 。。。
私がいなくなっても、そういういつまでも変わらない真理を灯として、生きていきなさい。
そうお釈迦様は語られている。
涅槃図に描かれた情景が、今でも多くの人々に語り続けている。
涅槃会とは、お釈迦様の亡くなられた日。
涅槃の境地。
それは全ての煩悩が消滅して、悟りを完成させた境地だと言われている。
死は深く、語り尽くせるものではないが、死に真正面から向うことで、今を生きる糧にしたい。
山地 弘純
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