目を半分つぶり、足を半迦座に組み、行法に入る。
禅宗の座禅のようなものだ。 内容は違うだろうが、組む形は似ている。
行法は長時間に渡るため、体の固い人にとってはかなりの苦痛だ。
僕は股関節が固いから、腰や足がものすごく痛くなる。
ただ、その痛みも意識が飛びそうになる僕にとって、自分を保つために必要だった。
口で真言を唱えながら、印を様々に組み替え、瞑想をする。
阿息観、阿字観、月輪観、字輪観、三密観などの様々な観想は、全て同じ境地へ通じる瞑想なのだと思うが、僕は「入我我入観」がイメージしやすくて好きだった。
まず自分を隅々まで感じる。
自分から見る大自然、大宇宙は果てしなく大きい。
そして自分の肉体から、自分の意識をだんだんに切り離していく。
遠くへ。遠くへ。
大宇宙を感じていく。
大地、海、空、月、太陽。
僕の意識は今大宇宙になっている。
大宇宙から自分が残して来た肉体を見つめる。
あ~、なんてちっぽけなんだろう。
そして再び自分の意識をだんだんに戻していく。
近くへ。近くへ。
大宇宙を感じたまま、自分の体に・・・
ぴったりと納まった時に観じる。
あ~、僕と大自然は一つなんだ。
自分としてだけ光らせていた存在が、大自然に溶けて同化していく。
そんなイメージを明確に観じれた時、とても満ち足りた気持ちになれた。
「自分というのはいったい何なのかわかりますか?」
小豆島参りした時、あるお坊さんから言われた言葉を、不意に思い出した。
「いえ、わかりません」
僕はそう答えた。
そのお坊さんは、にっこり笑っておっしゃった。
「それはね、自然の分身なのです」
いつ聞いたお話だっただろうか?
忘れそうで忘れず頭にひっかかっていた法話の意味が、今わかったような気がする。
(つづく)
山地 弘純
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