9月30日と10月1日の二日間、高野山に結縁潅頂の研修に行ってきました。
僧でも俗人でも問わずに、どなたでも仏さまとのご縁を結ぶことができる儀式を「結縁潅頂(けちえんかんじょう)」といいます。
弘法大師様は32才の時、唐の都・長安にある青龍寺においてこの儀式を受けられたそうです。
平成24年に、但馬でこの結縁潅頂を行うことになりました。僕もスタッフとして携わることになると思います。
しかし、僕もこの結縁潅頂を一度受けているのですが、ほとんど覚えていません。
というわけで、研修に行くことになりました。
30日の準備、1日の本番の様子を目に焼き付けながら、勉強がてらお手伝いさせていただきました。
説戒(せっかい)、覆面(ふくめん)、投花(とうけ)、潅頂(かんじょう)という難しい言葉が飛び交う中、最初はちんぷんかんぷんでしたが、少しづつ理解できてきました。
最初は「そこでせっかいを行います」と言われても、「石灰?なんじゃそら?」とか思っていましたが、わかってホッとしました(笑)
漢字がわかれば僕にもわかります。説戒。僕だけがわかってなかったんでしょうか。。。
この儀式を受ける受者に、まず説戒を行います。戒を授け、印と真言を授けます。
「オン サンマヤ サトバン」
印を結び、真言を唱え、仏さまの境地に入ることを誓います。
そして覆面所にて受者の目を目隠しします。普段我々は2つの目で物事を見ています。生死の仮の相を見る肉眼では、煩悩によって曇らされ、真理をみることができません。
本当に大事なものを見るには、肉眼は妨げになるのです。
そのため肉眼を閉じ、本来仏さまが備わった心の眼を開く為に目隠しをするということです。
目隠しをして肉眼を閉じられた受者は、印を結び真言を唱えながら、導かれるままに曼荼羅の前に進みます。結んだ印の先に花を授けられ、曼荼羅の上にその花を投じます。
曼荼羅とは大日如来さまの説く真理や悟りの境地を表現したものです。肉眼を閉じ、心の眼で見ると見えてくる宇宙なのかもしれません。
その宇宙に描かれたたくさんの仏さまの中で、受者が投じた花が落ちた仏さまとご縁を結びます。
これを「投花得仏(とうけとくぶつ)」というそうです。
受者は目隠しをはずし、ご縁を結んだ仏さまを拝顔します。弘法大師様は多くの仏さまが描かれた曼荼羅に3度投花を行い、3度とも大日如来に落ちたと言われています。
そのまま阿闍梨様の下に進み、赤い冠をかぶせていただき、潅頂を受けます。
大日如来様の五智を表す五瓶に入れた香水を、受者の頭の頂に注いでいただきます。
我々はこの仏さまの智慧の水によって、次第に心の眼を開くことができるようになるのです。
受戒とどう違うの?そんな疑問も湧きましたが、受戒は仏道入門の儀式あるが、潅頂は発心(ほっしん)を前提とした儀礼のため、子供と大人ほども差があるということです。
つまり潅頂には、心の眼を開くんだという強い決意が必要なのです。
結縁潅頂は、在家の方が受けることができる最高の儀式であるといわれています。
あなたの中に本来備わっている光り輝くものの存在を意識することが、この結縁潅頂の意味なのだと思います。
この経験が、心の中に閉ざされているままの眼を開きます。心の眼が開いていくと、この世界が違って見えるはずです。
僕もそこを目指しています。まだまだ全然開いてないけど、でも開こうと意識するだけで、時々アッと思うことがあるんです。
私の中にもあるんでしょうか?
そんなあなたにも気付かせてあげたいと、お大師様は願っておられます。
平成24年秋、この但馬で行われる結縁潅頂に、ぜひあなたも参加してみませんか?
山地 弘純
最新記事 by 山地 弘純 (全て見る)
- 兵庫県新温泉町飲食店テイクアウト情報☆ エール飯にご協力を!! - 2020年4月20日
- うちは現在アナ雪ブーム真っ盛り - 2020年2月20日
- 仲間が琴浦町にある「東伯発電所」の壊れた風車の視察をしてきてくれました - 2020年2月19日