松本教頭先生と話をしていた。
僕に向って熱く語ってくださる。
「現在では学校の先生が教えるより、他の分野の人に教わったほうが子供の心に響くなんてことばかりだ。それじゃいけないと思う。
プロフェッショナルというものは、普通の人にできないものを与えることができるもの。
私はプロフェッショナルでありたい。」
僕には何もない。
お坊さんをやってきた上で、ある時までずっと思ってきたことだった。
法衣や法具に興味を示すお坊さんたちの中で、それらに対して全く興味を示さない自分に驚いたことがある。
突き抜けた歌唱力で人を涙させる御詠歌の先生の講義のあとで、自分の声の入った御詠歌のテープを聞いて愕然としたことがある。
弁がたち、講演で教えを広めていける人たちに対して、言葉を噛みまくる自分にいらだったことがある。
文字で圧倒的な衝撃をあたえる書家の先輩の字に、ただただ圧倒されたことがある。
あふれんばかりの想像力で描かれた文章を読んだあとで、自分の文章の幼稚さにがっかりしたことがある。
心理学という理論に基づき心に向き合っていく人たちに対して、理論もなく人々の心と向き合う自分にこれでいいのかと自問したこともある。
僕は、なにもかも中途半端だ。
僕はプロフェッショナルじゃない。
幼いころからの蓄積で自信を持っていたものが、最近始めた人にあっという間に抜かれた時に、ものすごい喪失感にさいなまれたこともあった。
そんな時見たドキュメンタリー番組「情熱大陸」。
たまたま見た福山雅治さんの回が僕に大きな道しるべを与えてくれた。
番組中の車内でのやり取り。
「他に何か向いてるものがあるんじゃないか、何か教えてよ」
「僕は器用貧乏だと思う」
あれほどの人がそういうことを言っちゃうのかと僕は思った。
それに答えたディレクター。
「福山さんは十種競技タイプなのだと言われてます。
もちろん基本には音楽ってもいうものがあって、ま~それが走り高とびかもしれないけど、
でも走り高跳びの世界記録保持者ではない。
でもそれ以外に、芝居だったり、写真だったり、ラジオだったり、モデルとしてだったり、いろんなジャンルでレベルが高い。」
マネージャーがそこに割って入ってくる。
「今年は走り幅跳びで世界記録作りますよ」
「たぶんね、それは無理だと思うんですよ。
なんかね、特化できない自分がいるんですよ。」
そう悩みながら答える福山さん。
その福山さんの悩みを覆い隠すかのように流れる師である写真家の植田しょうじさんの言葉。
「僕はね、福山さんに嫉妬してるんですよ。
福山さんを見てるとね、若い頃の自分に腹がたつ。
あの頃、福山さんほどの情熱と真面目さがあったなら・・・。
って思うんですよ。」
そして、それらをまとめるナレーション。
「歌うことも、ギターをひくことも、写真を撮ることも、
それを心から楽しんでいる時に、本物が生まれる。」
僕は素敵だと思った。
ずっと何か特化したものを見つけないとと思っていたから。
十種競技。
たしかに僕はお坊さんという走り幅跳びはたいして跳ぶことができない。
御詠歌だって普通、文字もそれなり、文章もそこそこ、人の心理もほとんどわかってない。
でもお経を唱えること、御詠歌を歌うこと、文字を書くこと、文章に綴ること、心と向き合うこと。
全部合わせると僕もそれなりにできるんじゃないか。
僕に欠けていること。
そのすべてを、情熱的に、真面目に、楽しむことができていないこと。
なんだかモヤモヤが吹き飛んだ気がした。
僕は一つ一つのプロフェッショナルでは挫折した。
でも十種競技のプロフェッショナルなら目指せるんじゃないか。
光がさし、目標ができた時から、僕はさまざまなことを楽しめている。
山地 弘純
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