夢が丘中学校の保健の先生はうちの檀家さんであり、そして年末に懐の被災地支援活動でご一緒した方である。
施設実習をお願いしたところ、あっという間に話を進めていただいた。
校長先生にも快く受けていただいた。
その中で一つ条件が。
「子供たちにいのちについて話してやって下さい」
それからとても悩んだ。
僕はお坊さんで死の現場で働いている。
死をどれだけ子どもたちの胸に焼き付けようかということばかり考えていた。
この中学校での事故で亡くなったうちの檀家さんのところへお話を伺いに行ってみた。
僕の同級生の死を振り返ってみようともした。
しかし聞けば聞くほど、振り返れば振り返るほど、話をすることはできなくなった。
力の入り過ぎている僕に向って、父からも強く諭された。
「大上段にふりかぶって話をしようとするんじゃないぞ!」
僕は等身大の話をすることにした。
中学一年生の子たちに向って、下手くそでも、精一杯お話した。
僕はお寺の待望の後継ぎとして生まれたこと。
名前はおじいちゃんが一生懸命悩んでつけてくれた、お坊さんになるべく付けられた名前だったこと。
おじいちゃんのひざに座って、幼いころから仏具をおもちゃにしていたこと。
子どもの頃から体が弱くて、特にぜんそくに苦しんだ。そんな時に親から「この苦しみは将来病気の人の苦しみをわかってあげれようにと与えられた試練なんだよ」と、お札で一生懸命背中をさすってもらっていたこと。
お坊さんを継ぐことに反発した中学時代。
夢を見れない自分にあきらめた高校時代。
お坊さんになりたいという友人との出会いに驚いたこと。
修行時代、不眠症で苦しんだこと。
睡眠薬を2錠飲んで吐きじゃくった後、門前に立っていて、「これを踏み出せば楽になれる」と思ったけど、足が踏み出せなかったこと。
ついに倒れた僕のところに来た先生から、「リタイヤするか」と言われ、涙がぶわっと溢れだし、「できません、待っててくれる人がいるのに」と泣きながら答えたこと。
薬が切れた時、先生に言うと「お前はまだ薬に頼っとるんか!」と怒られたけれど、幹事先生には「その気持ちがわかる」といってもらえたことが、ものすごく嬉しかったこと。
薬に頼りながらも、「お前は80人の中で一番弱い」と言われながらも、なんとか修行を終えることができたこと。
不眠症は修行を終えても治ることなく、10年の闘病を経たこと。
「修行なんてしなければ。お寺なんて継がなければ。仏教なんて!」と仏教を否定したこと。
「僕なんて死んでもいいんだ。」「死んだら楽になれるんじゃないか」眠れない中で思い続けていたこと。
かすかにあった鍼の響き。ある時から毎日かかさず行ったヨガのおかげで、徐々に希望が見えてきたこと。
ヨガも仏教の中の教えの一つ。完治した時、思ったのは「なんだ僕はあれだけ否定し続けた仏教に救われたんじゃないか」って思ったこと。
ようやく僕はお坊さんになるって自分の心で決めることができた。
そして今に至る。
なんでこんな自分のこと長々と話したと思う?
どんなにかっこわるくても、どんなに苦しんでいても、どんなにしょうもなくても、これが僕のいのちなんだ!
これが僕が今までずっと向き合ってきた、いのちそのものなんです。
みんなの中にも同じようにある、たった一つのいのち。
「あの、みんなに質問ってしてもいいでしょうか?」
息抜きを入れた。
先生が「はい、どうぞしてみてください」と答える。
「みんな、いのちって何だと思う?どんなものだと思う?」
僕の問いかけに、みんなどうしようか体をもぞもぞしている。
「なんでもいいよ。たぶんどれも正解だと思う。」
なんとかかんとか3人の子の答えを聞きだすことができた。
「生きている証」
「一つしかないもの」
「尊いもの」
僕はおじいちゃんの死について話した。
僕の名前をつけてくれたおじいちゃん。
仏具で遊ばせ、お経を教えてくれたおじいちゃん。
お盆のお参りに小学校3年からずっと連れて回ってくれたおじいちゃん。
認知症になったおじいちゃん。
厳格な人からかわいい人に変わって行ったおじいちゃん。
みんなで世話して家族がまとまった。
そして我が家で、父の腕の中で亡くなった。
僕の出張の帰りを待っていてくれたかのように、僕も最期に立ち会うことができた。
温かかったおじいちゃんが、冷たくなっていった。
90歳だった。
葬儀を終え、火葬にする。かなしかったけれど、そこでみんな笑った。
見事な足の骨。この足で車なんかない時代にどこまででも歩いたんだな~。この足で介護中に「いやだ~」って蹴ってきたんだな~って。
みんなに言いたいのは、人の死に立ち会って、感じてほしいってこと。
冷たくなっていく体。
周りのかなしみ。
そして、いのちはもう二度と戻らない。
いのちの木の話をしようか。
「僕はまだ小さな一本の木。大きく大きくなりたいと願っている。
幸せになりたい。
健康でいたいし、お金もほしい。
いい家に住みたいし、美味しいものも食べたい。
もっともっと太い幹にしたい。
子どもも欲しいし、いつか孫も欲しい。
みんなみんなが元気で幸せでありたい。
大きな大きな枝を広げたい。
いつしか僕の木は大きく太くなっていった。
上へ上へ。
それだけを強く望み、今までやってきた甲斐あって、誰よりも大きく、誰よりも太く。
ある時強い風が吹いた。風は体中に吹き付ける。
足元を踏ん張り、力いっぱい我慢していた。周りのみんなも懸命に耐えている。
しかし、大きく頑丈だと思っていた僕の木は、悲しいほどあっけなく倒れてしまった。
それを横目に、隣の小さな木は、倒れずに立ち続けている。
なんでなんだ、こんなに努力してきたのに。
なんでなんだ、子供のためだけを思って一生懸命やってきたのに。
自分たちの幸せだけ追い求めて、ここまで大きくなったのに。
こんなことくらいでダメになってしまうなんて。
隣の小さな木は言った。
「それはね、目先のことばかりにとらわれて、根の部分をおろそかにしてきたからだよ。君の根はあまりのも貧弱だよ」
どんなに大きな木になっても、足元がひ弱だったら、少しの風でも倒れてしまう。
どんな困難が訪れようとも、どんな苦労が押し寄せようとも、根がしっかりとした木は揺るぐことはない。
根を大切にするんです。根の部分と言うのはお父さんでありお母さんであり、さらに土の中にはおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、ひいひいおじいちゃん、ひいひいおばあちゃん。
根を伝って行くと、限りなく下に伸びている。そこに水をやり肥しをやれる人は、きっといのちの木の全体像を感じることができるのだろう。
僕たちは、連綿として続くいのちによって支えられている。
誰一人欠けても、僕たちのいのちまで辿り着く事はできなかった。
それってすごいよね。
いのち。使わないと光らないよ。
それではちょっと命の使い方。
DVDを見てもらおうかな。
これは昨年末、被災地での子どもたちの支援活動の記憶です。
みんなとちょうど同じくらいの年の子たち。
15分ほどです。
これは一つの提案で、いのちの使い方はいろいろあると思う。
自分の中でいろいろと考えるきっかけになってくれればと思う。
「生きている証」
「一つしかないもの」
「尊いもの」
みんなが出してくれた答えは、自分でしか感じることができないよ。
どうかみんな、精一杯自分のいのちと向き合ってほしい。
最期に助産師・小林寿子さんの言葉を贈る。
「いのちが大切だっていうより、いのちと向き合うみんなの心が大切なんだよ!」
言葉じゃない。
どうか感じて欲しい。
いのちを・・・。
(完)
山地 弘純
最新記事 by 山地 弘純 (全て見る)
- 兵庫県新温泉町飲食店テイクアウト情報☆ エール飯にご協力を!! - 2020年4月20日
- うちは現在アナ雪ブーム真っ盛り - 2020年2月20日
- 仲間が琴浦町にある「東伯発電所」の壊れた風車の視察をしてきてくれました - 2020年2月19日