一昨日、浜坂大師教会でのお勤めを終え、お昼前に帰宅した時のことです。
縮んだ腰から下の筋を伸ばそうと、胸を張ってぐ〜んと背伸びをした瞬間、腰から電気のようなものが走り、いきなり腰に支えがなにもなくなった感じがしました。
「あ、あかん。腰が抜けた。。。」
ほんとに抜けたというか腰がなくなったように思ったのです。
一気に身体を支える力が入らなくなり、僕は膝から畳の上に崩れ落ち、両手で身体を支えました。
その後、腰にぐわ~っと何かが集まってくるような感じがしました。これはもうはっきりと。
腫れてきているんだろうと思ったのですが、後から思うと支えを失った身体を支えようと身体の内部の力を結集してくれたかなとも思いました。
何が起きたんだろう。
鈍い腰の痛みは今までも感じたことがあったけど、こんなになったのは初めてだ。
僕はしばらく考えを巡らせていましたが、だんだんと痛みが湧き上がってくるので我に返りました。
何?
ギックリ腰?
なんとか家族のいる部屋まで膝に手を当てて中腰で歩き、辿りつきましたが、もうほんといっぱいいっぱいです。
歩くたびにキーンとした衝撃が腰から足に駆け抜けていきます。
やばい。
やばい。
僕の頭の中では、そんな危険信号がグルグルと回っていました。
それからなんとかかんとか中腰のまま僕は妻に支えられるように部屋に行き、ベッドに横たわりました。
寝てみても、どこを向いても痛くて、安らぐ方向はありません。
それでも少しはマシな左方向を向き、身体を丸めるようにして、息を吐きました。
ショックでした。
一昨日のフットサルでは身体にキレが戻ってきていて、キュッキュッて感じのステップで、「絶好調!」って宣言したところだったんです。
それなのに・・・。
その日はもう何もできませんでした。
トイレに行くために立とうとすると、身体を持ち上げることさえ一苦労です。もう中腰さえもできなくなっていました。
頼りになるのは二本の腕だけ。
下半身の衝撃的な痛みをやわらげる態勢でなんとかベッドを降り、ハイハイしてトイレに行きました。
足も急激に冷えてきて、厚めの靴下を履きたいのですが、それもできません。妻に履かせてもらいました。
ご飯も運んでもらい、身の回りのことも全てしてもらい、完全な介護される人です。
「ごめんね。ごめんねって言いたくないのに、やっぱり出てきちゃう。介護される人になっちゃったね。ごめんね。ほんとに至れりつくせり、ありがとね。」
妻も「ごめんねとか言わないで」って言ってくれたけれど、その後も何かしてもらうたびに「ごめんね」と「ありがとう」が両方出てきました。
溢れる感謝とともに、罪悪感もドバドバですね。
何度も何度も謝罪していました。
「健康を保てず迷惑をかける人は嫌がられる」っていうビリーフ(思い込み)なのかもしれません。
返信しなければならない案件もたくさんあったんですが、スマホもあまり使う気になれませんでした。
まったく本を読む気にもなれませんでした。
夜のサッカー日本代表戦もテレビは付けていたものの、楽しめませんでした。
子供たちの前でも、ハイハイしてトイレに行く姿を晒しました。
とても憂鬱とした気分が訪れました。
三女はお父ちゃんはもう歩けなくなるのかと思って心配していたと妻から聞きました。
もうこのまま寝たきりになるんじゃないか。そんな思いさえ頭をよぎりました。
あの不眠症で先が見えない時の、深い深い底なし沼へ落ちていく感覚が蘇りそうな真っ暗な闇が瞬間押し寄せてきかけたのですが、その時その内側から、「それでも大丈夫だったじゃないの」という光が開かれたようなイメージが広がったのです。
それは闇を消すほどの大きな光ではなく、闇の中に現れた小さな星のような光でしたが、とても強く輝いて見えた気がしました。
きっと脳には大丈夫という体験もしっかりと上書きされているのかもしれませんね。
二日間ベッドで過ごしました。
脊損とか下半身麻痺の方の気持ちはわかりませんが、その身体を動かす大変さは垣間見えたような気もしています。
移動時には、腕で下半身を動かしました。
とはいえ僕の下半身には感覚があり、衝撃も走ります。
この痛みって愛おしいのかも、そんなことも思いながら、洋式トイレの便器にしがみつきました。
一日目には、睡眠も痛みであまりとれませんでした。
それでも二日目には身体機能の下降が止まり、現状維持のような状態になると、気持ちもだいぶ落ち着いてきます。
夜には三女を話しながら寝付かせ、その後から部屋にきた長女と次女は、両腕に添い寝しせながらお話を聞きました。
いつもにはなかなかもてない、30分間じっくりと聞き役になれた時間は、とても至福を感じるものでした。
子供たちもいつもと変わり果てた弱々しいお父ちゃんの姿だからこそ、開いてくれたものがあったのかもしれません。
長女はどんな世界をつくりたいかということ。
次女は嫌いな発表が少し大丈夫になれたこと。
それらはいつもと違う、緩んだ三人の空間だったような気がします。
これもギフトだなって、僕はほくそ笑んでいました。
仕事は父に代わってもらい、大切な会議は欠席しました。
ゆっくり休む時間をとることができ、たくさん腰とも会話できました。
ありがたかったです。
滞った気を流すように、できる範囲で再びヨガを始めました。
積り積もった抑圧してきた感情の存在もサーチしました。怒りについても思い当たる節はありますが、僕は結構怒りは放出できるようになってるんですね。
今回は抑圧した喜びの存在を見つけて、開放してあげることに決めました。
「苦しんでいる人がいるのに、喜びを表現しちゃダメだ」
そんなビリーフもあったのです。
子供ができて超嬉しいのに、子供ができない妹の手前喜んではいけないと言われ、喜べなかったという記憶も蘇ります。
それは最近のことだけど、子供の頃から何かとそんな感じのことはありました。
そんな僕のインナーチャイルドに、「いいよ」って優しく許可を出していくのは、誰でもない、自分の役割なんでしょうね。
僕は抑圧した喜びを開放し、これからは目一杯表現していこうと決めました。
尚、喜びを反映する内臓は、心臓と言われています。
まさに心当たりがある場所なのです。
しっかり滞りを流してやろうと思います。
そして、よく眠ることができて迎えた今日、つまり三日目の朝には、ももを両手で当てがいながらも、直立で歩くことができるようになったのです。
「まるで人類の進化の過程だね」と妻と笑い合いました。
猿人からネアンデルタール人くらいまで進化できたみたいです。
(画像はhttps://mr-wild.net/story-liner-3originality/より)
それから昔行きつけだった整骨院へ妻に連れていってもらい、診察、治療をしてもらいました。
「二人でデート。これもギフトだね。」
この時、もう一つのビリーフも見つかりました。
「病気にならないと休むことができない。」というものです。
ということは、休むためには病気で強制終了させられちゃうともいえるのかもしれませんね。
そういえば、2月3日の節分が星の巡りの切り替わりだとするならば、今は厄年を抜ける直前の最後のトンネルかもしれませんね。
厄年は大きなアップデートの時。
アップデートに不具合は付き物です。
これを抜けたら、きっと僕はリニューアルされているのでしょう。
どうぞお楽しみに。
ギックリ腰。
別名「魔女の一撃」と欧米では言われるそうです。
まさに見えない世界からの強烈なメッセージですね。
今回の体験を通じて気付いたいろんなビリーフを書き換えながら、どんな自分でも大丈夫って感覚を養っていきたいなって改めて思いました。
腰という部分の重要さも痛いほど感じました。
完治には少し時間がかかるかもしれませんが、しっかりと呼吸とともにヨガを、それに腹筋背筋も行おうと決めました。
さぁ、セルフケアの腕の見せ所。
楽しんで、やっちゃるぞ~!
長文をお読みいただき、ありがとうごさいました☆
山地 弘純
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