この前高野山に行ったお話をアップしました。
覚えてますか?
行きがけの投稿では頭を剃ったものと電車の中の写真をアップしました。
それ以上余計な写真をいれる必要などなかったのですが、持参した本「村上海賊の娘」4巻の写真までいれました。
おかげで文章としても余計なものがひっついてしまい、書きたい趣旨がぼやけてしまいました。
それでもなぜか入れたかったのです。
そして寄り道した投稿、高野山上の投稿へと続きます。
寄り道したせいで、土砂降りの雷雨のまっただ中を、しかもなぜかタクシーを使わず徒歩で歩くハメになってしまいます。
傘もほとんど役に立たず、転がしていたトラベルバッグはびしょ濡れになりました。防水のものではなかったのです。
これはヤバイ!
大切な法衣が濡れてしまう!
バッグの表面は分厚いとはいえ、中に沁み込んでいることは間違いなさそうです。
歩みを速めることもこれ以上できず、どうにもならない状況に、僕は焦りました。
それでもなんとか宿坊にたどり着きました。
ぐしょぐしょのジーパンをハンガーにかけ、靴下を脱ぎ、パンツ一丁で急いでトラベルバッグを開けました。
!!!
奇跡です。
法衣は無事だったのです。
ほかの平服は多少濡れているものはありました。
それでも最も大事な衣だけは全く影響なく、カラッとした肌触りのままでした。
その代わりに、その上にぴっちりと敷き詰められた4冊の本たちが、たくさんの水を吸い、ぐにゃぐにゃに形を変えてそれをガードしてくれていたのです。
その瞬間思いました。
「この世界に、無駄なものなどなにもない!」
僕は、一人感動に打ち震えたのでした。
余計なものという位置付けだった物が、見事に残りのパズルの穴を埋めるかけがえのないピースだったことが浮かび上がってきたのです。
マジこの世界を創る作家の画力は半端ねぇ!
ほんとにすごい!!
そう思いました。
でね、
潜在界で繋がっているという感覚が大きくなって以来、こういった物語の伏線を拾い、結び付けられることが多くなりました。
もしかすると丁寧に今あるもの、今ある感情を見つめていくことが、ミラクルを楽しむことができる秘訣なのかもしれません。
おかげさまで、次の日の晴れの儀式は、滞りなく終えることができました。
その影には、こんな隠れた面白いエピソードが、僕の新しい門出を彩ってくれています。
乾くのは乾きましたが、ぐにゃぐにゃのままでいるその本が、今なお圧倒的な存在感をもって、僕の記憶に刻み込まれているのです。
その後、ページがくっついたり読みにくかったですが、なんとか読破しました。
本の内容は◎(二重丸)、本の価値は∞(無限大)です。
かさ張るのに4冊も持って行ってよかった〜。
「村上海賊の娘」、ありがとう☆
最後に、僕がなぜ最近取り留めのない、些細な事柄たちをも文章としてあげているかというと、人生のどこかで、これらの小さな事柄たちが華麗に大きな文脈へと結びついていくことを信じているからです。
それは爽快な謎解き小説のクライマックスの如くにピターッと!
山地 弘純
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