11月13日には、心の相談員全体活動が行われた。
第1部が窪寺俊之先生をお招きした「魂へのケア-スピリチュアルケアの本質と実際」の講座。
第2部が活動報告と事例検討会。
この二本立てだった。
窪寺先生からみんなへ向けて、
僧侶として?
カウンセラーとして?
スピリチュアルケアワーカーとして?
人として?
どの立場で関わってる?
そんな問いかけがあった時、胸を張って「今はひとりの人として関わっています」と言おうとした瞬間、「ハテ」と疑問が湧き上がった。
あれ?
今回の僕の用意した事例は檀家さんとの会話記録で(もちろん守秘義務あり)、僕の立場は僧侶になってるじゃないかと。
最近のセッションなどでは対等感を保って、ひとりの人と人とのやりとりしてきたつもり。
それが、檀家さん相手だと知らず知らずのうちに僧侶の立場になっている自分に気がついた。
それは「教える」という傲慢さを孕んだものだ。
一旦はがっかりした。
だけど、あれほど嫌がっていた僧侶という立場やディスっていた仏教というを受け入れ、今じゃ仏教大好きって言える僕にとっては、前とは違う僧侶の立場になっているような気もして、それは戻ったんじゃなくて進化だとも思えた。
どの立場でということに続いたのは、「どこの部分で関わっているのか?」ということ。
心?
魂?
宗教?
スピリチュアリティー?
それを明確にすることができると自分に自信が持てるということだ。
そしてどの部分で関わっても、メリットとデメリットがあり、つまりそれは他の部分にはできないケアができるということになるのだと。
ただのおばちゃんには、宗教者にはできない、カウンセラーにはできない、ただのおばちゃんにしかできないケアができるのだと。
僕はやっぱり、宗教を超えたスピリチュアリティーの部分で相手に関われるのが強みだと思ってるし、改めてそうしていきたいなと再設定し直した。
相変わらず響く言葉がたっぷりの先生との時間。
なるべくたくさんの人に、自分の思いをシェアする時間つくってくださり、先生とみんなで作り上げる講座。
今回も素敵だったな。
「先生と呼ばれることで傲慢になる自分」という自己開示も含めて素敵。
なにより、「自分の中にある心の傷をどれだけ自分が意識できていて、それをテーブルの上に乗せて見てみることができるかがすごく重要」ということもおっしゃって、僕も「心の傷と被害意識」は常日頃から意識している部分だし、これができる先生だからこそホント信用できる人だなって改めて思った。
これを意識できないケアワーカーの人たちって結構いると思うけど、そうすると「被害者意識を保護する会」みたいになっちゃうから、気をつけたいところだね。
そんなこんなで事例が始まる前から、僕自身も丸裸にされながら迎えた事例検討。
みんなからたくさんの違った角度からの意見を聞かせてもらった。
なるほど、そう感じる人もいるんだな~と思った。
改めて自分とは違う視点に、世界がまた広がった感じもある。
参考にしよう。
とはいえ、僕の意図的にやっている「寄り添いながら寄り添いすぎない姿勢」がやっぱり突っ込み所になったけれど、それを言葉だけじゃなくて関係性やキャラクターといった部分まで見てフォローしてくれた人がいたことも嬉しかったな。
見るのは言葉じゃなくてその奥にあるものだよって言ってくれた気がしたな。
僕もそこを大切にしたいよ。
夜は仲間たちと楽しい時間。
ほんと久しぶりだったね。
毎月会ってた頃が懐かしい。
あー、今日はいつにも増して心が爽やかだ。
みんな、ありがとう。
山地 弘純
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