妹の旦那さんは消防に勤めている。
このたびの震災で、現地復興のために、先日旅立っていった。
妹は震災の映像から受ける恐怖を重ね、もしも旦那の身になにかあったらと、旅立ちの前日には心配で涙をうかべていた。
「お前なに泣いてんだ。弱っちいな~。大丈夫だって。もう余震も減ってきてるし、原発もおちついてきてるよ」
僕は、そう妹に喝を入れた。
「あんちゃん、荷物いっぱい入れていく大きいかばんを貸して」
そう言われたので、僕のお気に入りのスポーツバッグを貸してあげた。
「こんなのいいの?汚れちゃうけど?」
そんなのかまわなかった。
「むしろ、どんどん汚してきてもらって」
僕はそう答えた。
僕だって行けるものなら現地に駆けつけたい気持ちもある。
だから、 妹の旦那さんに、せめて荷物だけでも連れて行ってもらえることがうれしかった。
ドロドロでかばんが返ってきたとしても、それはある意味思い入れになるから。
心配を押し殺し、うちの家族全員が
「みんなの代表として、頑張ってきてな」
そう言って送りだした。
きっと今頃、彼のことだから気真面目に頑張っていることだろう。
消防レスキュー、自衛隊などの活躍には、ほんとうに頭が下がる。
朝日新聞に、今回の原発の放水ミッションについての記事があった。
「非常に難しく危険な任務だった。国民の期待をある程度達成でき、充実感でほっとしている」――。東京電力福島第一原発の冷却作戦で、10時間以上の「連続放水」を成功させた東京消防庁の派遣隊員の一部が19日夜、帰京した。佐藤康雄総隊長(58)ら3人が東京都内で記者会見し、心境を語った。
会見したのは、災害救助のスペシャリストである「ハイパーレスキュー」の冨岡豊彦隊長(47)と高山幸夫隊長(54)。
冨岡隊長は「大変だったことは」と問われると、「隊員です」と言って10秒ほど沈黙。涙を浮かべ、声を震わせながら、「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。残された家族ですね。本当に申し訳ない。この場を借りておわびとお礼を申し上げたい」と言った。
高山隊長は18日、職場から直接現地に向かった。妻に「安心して待っていて」とメールで伝えると、「信じて待っています」と返信があったという。
佐藤総隊長も妻にメールで出動を伝えた。「日本の救世主になってください」が返事だった。
高山隊長は今回の任務を「目に見えない敵との闘い」と振り返った。注意したのは放射線量。「隊員たちが常に測定しながら安全を確認し、アピールしてくれた。仲間のバックアップがあったから任務を達成できた」と話した。
会見では、作戦の具体的な中身も明かされた。
佐藤総隊長によると、派遣隊は本人が承諾した隊員から選抜された。
原発に入ったのは18日午後5時5分。作戦は当初、車から出ずに車両でホースを延ばす予定だった。8分で設置できる計算だった。だが、海岸付近はがれきだらけ。車が走れそうなルートだと2.6キロあり、ホースが足りない。
一度本部に戻り、安全な方法を再検討した上で午後11時半に原発に戻った。最終的には、途中まで車で延ばし、最後の約350メートルは隊員が車外に出て、巻いたホースを手で延ばし、取水のために海まで届かせた。
ポンプで吸い上げた海水を放つ「屈折放水塔車」を止めたのは、2号機と3号機の真ん中で建物まで約2メートルの至近距離。目標とした、使用済み核燃料が貯蔵された3号機のプールまでは50メートルだった。いつでも退避できるようにマイクロバスを用意し、「特殊災害対策車」も待機した。
翌19日の午前0時半、「白煙の方に向かって」3号機への放水が始まった。
放水現場の放射線量は毎時60ミリシーベルトだったが、放水後はゼロ近くに。「命中している」と確信したという。 」(以上)
さらにニュースでもそのことについて話しておられた。
「我々には子供がいます。たとえ自分が被爆したとしても、未来の子供たちのために向いました。」
その言葉を聞いて、僕は涙が滲んだ。
ほんとうにありがとうございます。
自分の命を削ってでも危険に飛びこんだ隊員のみなさんに、ほんとうに感謝しています。
山地 弘純
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