「もしかして、できたかも」
そんな彼女の言葉を聞いたのは出発の前日だっただろうか。
僕の夢が叶おうとしていた昨年の9月10日。
誰ひとり欠けることない、全員揃っての家族旅行が目の前に迫っていた。
「検査薬は、帰ってきてからにするね。意識しすぎるといけないし。」
僕たちは四国へ向い、自分たちのルーツを辿ってお墓参りをした。
家族全員。
おばあちゃん、お父さん、お母さん、僕、妻、のぞみ、まゆ。
7人みんなでお墓の前で記念写真を撮った。
いや、そうじゃなかった。
実は7人じゃなくて8人だった。。
帰宅して行った妊娠検査は、見事に陽性を示している。
そう、妻のお腹の中には、宿ったばかりの小さな小さな命が存在していた。
姿は見えないが、確かに彼女のお腹の中で夢を一緒に叶えてくれたのだった。
これが夢が叶った日のアナザーストーリー。
あれから約8か月。
御閉帳でも涅槃会でもない。
上の二人の娘たちのようなドラマティック性はない。
ただただ平凡な一日が過ぎようとしていた。
予定日より3日ほど過ぎたその日の夜8時ごろ。妻の陣痛の波の訪れが、着々と間隔を狭めていく。
彼女曰く、初めてのまともな出産の順を踏めるとのこと。
一人目は破水。二人目は予定日を一週間過ぎても陣痛が来ず、陣痛促進剤を使用。
ようやく3度目の出産にして、おしるしの出血からの陣痛の流れに乗ることができたということらしい。
ついに生まれるのか。
一人目の時のような緊張感はなかったが、経産婦はすぐにでも生まれかねないので、もし車の中で生まれたらどうしようとか、そんな不安はやや持っていた。
鳥取中央病院への道のりは、少し長く感じた。
10時過ぎ、病院に着き、分娩室に通され、お腹に陣痛の間隔を計る機械をセットされた。
助産師さんは今回も初めての方だ。
看護師さんも誰も見たことある人はいない。
前と同じ人たちなら少し気が楽なのにな、と思った。
どうも今日は出産ラッシュらしく助産師さんも看護師さんもいなくなりがち。
今回は我が家からの付き添いも僕一人。
大勢に囲まれた第一子の時とは違って、寂しいような気持ちも湧いてくる。
でも来たくても来れず、二人の子どもを寝かしつけてくれている両親の姿も思い浮かんだ。
順調に陣痛の間隔は縮んでいた。
僕も三人目なので余裕があり、陣痛の波が来た時には手を握ったり腰をさすったり一緒にふ~っと息を合わせたりし、波が止んだ時にはビデオを回したり写真をとったり雑談したりしていた。
二人目の時も僕の感覚とすれば一気に飛び出したっていう風に頭にイメージとして残っていて、それを彼女に言うと簡単に言わないでと怒られるのだが、でもやはり客観的にはスムーズなお産だったのだと思う。
それ以上に今回は早くなりそうな気配だった。
助産師さんも楽観的だ。今は看護師さんは誰一人いない。
またいよいよクライマックスという頃にはどこに隠れてたのかというくらい湧き出してくるのだろうか、と思い返していた。一人目の時にはほんとに多くの看護師さんが立ち会ってくれた。
間隔がすごく短くなってきた。これは今日中に生まれるなと思ったし、助産師さんからもそんな言葉をいただく。
もうちょっとだ。頑張れ。
部屋の暑さと陣痛の強さが増してきたのとで、彼女から汗が噴き出していた。
しばらくすると、なにかがおかしいと思った。陣痛が飛んだり、ゆるやかなものに逆戻りしていることが気のせいじゃないとわかった時、どういうことなのかと一気に疑問が浮き上がってきた。
なんてことない、一休みなんだという思いで楽観視には努めていたが、助産師さんの空気が重いものに変わったような気がして、一抹の不安が訪れたのも確かだった。
トイレに行って体を動かすことで好転しないかとの試みもうまくいかず、陣痛が消えてしまったかのように機械音は弱々しく一定のリズムを刻む。
赤ちゃんは元気なのだろうか。どこかねじれたりしてないんだろうか。どこかでそれを考えたりしながらも、とにかく一番不安になりやすい彼女が大きな気持ちでいられるようにとはずっと思っていた。
担当の助産師さんは自分に見切りをつけたようだった。どうやらこの停滞を打破することはできないらしく、他のの助産師さんへの交代を告げる。
おいおい、一体どうなってるんだとざわつくものが表出しようとしていたが、新たに現れた見るからに熟練の看護師さんが状態を確認した後もどっしりした態度と口調であった為、二人とも落ち着きを保つことができた。
日付はとっくに変わっている。先ほどまでの順調さを考えると、まさかの展開といってもいい。
これからどうするのだろう。また二人目の時みたいに促進剤を使うのだろうか。それとも帝王切開しかないのだろうか。
しかしその後部屋に響き渡る彼女の絶叫、悲鳴。
今までに聞いたことのないような声に、僕は身震いした。
痛い。僕も彼女の何万分の一かもしれないが締め付けられるような痛みに襲われ、胸がつまる。
どうやら無理矢理に破水させているようだった。激痛に体をよじらせ、ベッドから落ちそうなほどの彼女を支える。
やがて助産師さんの手が引き抜かれ、そしてまた少しづつ強さを取り戻したいのちの脈動の音が聞こえてくると、僕はふ~っと力が抜けた。
もちろん彼女はこれからも陣痛と向き合わなければならず気を抜きたくても抜けない。
痛みと闘うということは、一生懸命産道を進もうとしている赤ちゃんと力を合わせることなのだという。
僕はアホの一つ覚えのように「赤ちゃんにいい酸素を送ってあげるんだよ~」といいながら、手を握り、ただただそばにいた。
そう、僕はいることができたのだ。一人目も、二人目も、そして三人目のこの子にも。
「なみ」という母親の名前を感じる7時3分に生まれた望心。
「いみ」といういのちの理由に通じる1時3分に生まれた真由。
そしてこの子は・・・。
熟練看護師さんのおかげで、その後は再び波が高まって行く。
もう生まれそうという段階で、宿直の先生がなかなか捕まらない。
最後はバタバタとした雰囲気の中、す~っと滑り出した。僕にはそう見えた。
5月17日、午前1時32分。
三人目の子供がこの世に姿を見せた時。
元気な産声をあげる姿を見て、あ~かわいいって思う。
性別はやっぱろそんな予感がしてたのだが、大当たりの女の子。僕らの子供は三姉妹。
もう後継ぎとか、男の子とか
にとらわれる段階は二人とも越えた。彼女も前回のようにずっこけることもない。
なにより、母子ともに健康でよかった。
「仏教的な御縁日でもないし、この子は時間もいい語呂がなかったね」という彼女に僕は言った。
「なに言ってんの。それがいいんだよ。それに、しいて語呂合わせするとすればね・・・。」
少し溜めてから小声でささやく。
「い・み・ふ。」
二人で顔を見合わせて笑い合った。
いみふ。つまり意味不明。
うん、君はそれでいい。いやむしろそれがいい。
「意味のない日に意味をもたせる」という僕の大好きな言葉。
君の誕生した日を新しい記念日にすることができるのは、とても素敵なことだって心から思うから。
君に贈る名前は「亜依」。
「亜」は準ずる意味があって、「依」は寄り添うこと。
傾聴。共感。感情移入。
カウンセラーの卵の僕が今目指しているのが君の名前だよ。
自らを見失わずに、人の心に寄り添うことのできる優しさを。
愛という響きを込めて。
亜依。
生まれてきてくれてありがとう。
山地 弘純
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