他にも96才のおばあちゃんとの出会い、高らかな笑い声とともにカニ汁をおかわりしまくる被災地の子供たちとの出会いもあった。多くの方々から、たくさんのありがとうという言葉ももらった。皆さんの話を帰ったらしよう。高森先生から託されたお話ボランティアとしての役割。僕たちには伝える義務がある。
それにしても、被災地復興はいったいいつになるのだろう。特に、全く進展のないように思われる沿岸部の状況には愕然とさせられる。今後も長い長い支援が必要なことは、今回参加した誰もが感じただろう。僕もお寺という立場から今まで以上にしっかりと義援金を呼び掛け、震災を風化させないように努めなければならないと思った。
また心の面でのケアがなにより大切だということも身を持って知った。今度は高野山真言宗の被災地活動の足湯隊にも参加申し込みしてみようかと思う。そしてぜひ次回もこの子どもNGOのカニ汁の炊き出し支援活動に御一緒したいと胸に誓った。
二十二名の子供たちと過ごした時間は僕にとって宝物で、今後同じメンバーで何かするということはないかもしれない。それでも同じ方向に進み続ける同士でありたいと僕は願っている。
子供たちへ。美味しいものが食べるのが幸せ。あ~食べるがいいさ。ファッションが好きで、かわいい服がたくさん欲しい。あ~お洒落すればいいさ。
でもそれ自体を目的にして欲しくない。美味しいものを食べたり買い物してお洒落したりして満たしたエネルギーは、誰かのために使われるべきなんだ。
他人に関わることでからっぽな自分の中身も埋まっていく。人に優しくすることで、自分の心も温かくなる。誰かを幸せにしたいと努力するものは、きっと自分も幸せになれる。これが大川小学校で僕が唱えた、意味がわからなかっただろうお経の意味だよ。
その言葉は子供たちへと言いながら、僕自身に向けている。不眠症から立ち直ることができた僕の命。子供二人に恵まれて、家族みんなの笑顔に囲まれている僕の命。現在の満ちあふれた幸せのエネルギーを、誰かのために使わずしてどうするんだ!
「生かせいのち」
昨年から心の相談員養成講習にも通い始めた。僕は考え続けている。お坊さんとして、僕はどう自分の命を生かしていけるのだろうかと。
すごいね。頑張ってるね。ありがとう。最近それを越える最高の祝福の言葉をもらった。
「コウジュンさん、お坊さんってかっこいいですね。」
なんでこんなに嬉しいんだろう。心の奥底を辿っていくと、昔寺っ子スクールに参加していた子供たちに聞かれた質問が蘇る。
「ねえ、なんで坊主頭にしてるの?」
その時僕はこう答えた。
「仕方ないよ。お坊さんなんだから。」
子供たちは、同じ質問をお手伝いに来てくれていたシュウホウ君にもした。
「なんで坊主頭にしてるかって?かっこいいからに決まってるやん!」
迷いなく答えたシュウホウ君に、僕は大きな劣等感を覚えたものだ。そうだ、僕はかっこいいお坊さんになりたかったんだった。自分に胸を張りたいんだった。
「あの時のおじさん、元気にしていますか?宗教ってなにかって今なら答えられる気がします。」
宗教は字のごとく、無限の可能性を示している。僕の信じる真言宗の教えもまた果てしなく壮大なもので、救えないことなど何もない。もし救えないことがあるのだとすれば、それは伝える僕の力不足でしかない。
僕はきっとこれからも、悩んで迷ってぶつかってばかりだろう。
だけど、それでも僕は・・・。
(完)
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※日本海新聞に掲載されていたコラム「善住寺コウジュンの悩んで迷ってぶつかって」は今回(第37回)で完結です。
長い間の御購読ありがとうございました。
ブログは変わらず続けていき、気が向いたらこの続きも書いてみたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
山地 弘純
山地 弘純
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