石巻の大川小学校へ着いた時には18時。どっぷりと日が暮れていた。多くの命が失われた場所で、僕は衣を羽織り、輪袈裟を掛け、数珠をする。
50部持ってきたお経の本は、そっとかばんに戻した。ほんとは明るいうちにここに辿り着いて、みんなにお経の文字をみながら一緒に唱えてもらいたいと願っていた。宗教の違う人も、今までお経を聞いた事さえもない人も、一緒に僕の声に合わせてほしかった。
しかし文字をみることができないほどの真っ暗闇。小さな電灯と、車のライトで照らしてくれる灯りがたよりだ。 闇の中に照らし出された供養塔と祭壇のみがそこにあって、周りはすべて消えてしまった。僕は独唱することにした。
このような津波での悲劇が起ったけれども、それで亡くなった人たちの人生がかわいそうなものだったとか、最悪なものだったとか、無意味なものだとか思ってほしくない。たとえ短い人生であっても、生きている瞬間はキラキラと輝いた素晴らしい人生だったのだと思うから。だからその人の人生を否定するんじゃなく、祝福してほしい。
そんなことをみんなに向って読経前に言った気がする。供養の前にするつもりもなかった話を突然始めたのは、どうしようもないほどの命の輝きを感じたからだ。
一向に復興の進まない被災地に対して、それでも被災した死者の魂を前に進めてあげたい、そんな思いで僕たちは祈る。仏教では追善供養という。善行を積みたくても積めなくなった人たちに変わって、僕たちがそれに変わって善い行いをする。お供えするものは物ではなく自分の心なのだ。それが繋がるってことなんだっていうことをみんなにわかってもらいたかった。
みんなの目が光を反射して、うるうるとした輝きを発している。誰ひとりよそ見をする者もいない。真っ暗だからこそ、その照らされた場所だけを瞳が捉えているのだろう。誰もが僕の方を真っ直ぐに見つめ、微動だにせずに話を聞いてくれた。
僕はそんなみんなの姿が、とても美しいと思った。なんだ、明るい中で読経できなかったけれど、かえって素晴らしい時間を手に入れることができたじゃないか。
静かな闇に包まれた祈りの時。物音一つしない空間に響き渡る読経の声。
「禍々しく覆われたこの地のイメージを浄化できますように。大川小学校の亡くなったみなさん、今日ここにくることができてよかったです。僕たちは、たしかにあなたたちの想いを引き継ぎます。」
僕が被災地に来るのは二度目のことだ。半年ほど前に訪れた南三陸町の小さな仮設住宅への慰問。物の支援はもう足りている。今はこういう心の繋がりがなにより嬉しいですと、とても喜んでいただけた。そして最後に、また来てねと言われた僕は、思わずまた来ますと答えた。
その直後に善住寺の行事において、子どもNGO高森先生から被災地支援活動の講演をしていただいた。僕は先生の子供たちに対する愛情に触れて、子供たちを通じて被災地と向き合いたいと強く思う。
「先生、今度はぜひ僕も連れていって下さい。」
それに対して先生は、「ええ、ぜひ一緒にカニ汁を作りましょう。」そう言ってくださった。
そのうちに僕は日々を仕事に忙殺される中で、炊き出しの時期が迫ったことなど忘れていく。 しかし先生は忘れることなくわざわざ電話して下さり、僕を誘ってくださったのだ。それは非常に嬉しいことであり、意気に感じることだった。
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山地 弘純
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