五十年に一度の御開帳がいったい何を意味するのか。ずっと考え続けた疑問に、ある一定の答えがもたらされた気もする。
この世で生きる上で最も大切にしなければならないのは、目に見えない、形にできないものを前向きに感じる力なのだ。優しさとか思いやり。人と人との絆。繋がっている命。
普段は隠されている秘仏御本尊様は、そんな目に見えない大切なもの暗示しているのかもしれない。その秘めた部分がふっと姿を現すとき、我々はとんでもない感動と共に、大いなる気付きを与えていただけるのだと思う。御開帳と共に溢れ出す御本尊様の光は、まるであぶり出しの文字のように、透明色のメッセージを鮮やかに照らし出した。
50年前の方々から託された熱い思いが溢れた御開帳の瞬間。そして、我々が50年後の未来へ託すべくお扉の中に想いを閉じ込めた今回の御閉帳。
わずか半年間の間に響き渡った魂の共鳴。元のお姿が見えない状態に戻られた今も、この胸に今だ残る放熱の証を、僕はずっと忘れない。
「相互供養、相互礼拝」
御本尊様がおられるから我々が在る。我々があるから御本尊様が在る。御本尊様は、本当に壮大な時代を超越した宝物だ。千年以上も心変わることなく一つの存在を愛し、敬い、信じ、祈り続けてきたのだから。
その存在を再確認した今、50年後までお扉の中で姿を見ることはできなくなった御本尊様を今まで以上に祈り続けていこうと心に誓った。
僕はこのような御本尊様に見守られた善住寺を誇りに思うし、また檀家の皆さんにも、檀家外のご縁を繋いだ皆さんにも誇ってもらいたいと思う。大きな大きな善住寺ファミリー。
我々の善住寺は、この御開帳を経験して、さらに強く結ばれたと信じている。
そしてこの御閉帳を忘れられない日として記すもう一つの出来事があった。何年も前から御閉帳に定めたお大師様のご縁日という特別な日。そこに合わせて、まさに奇跡のような幸せが舞い降りた。
「私が生まれてきたわけは、父と母とに出会うため。
私が生まれてきたわけは、きょうだいたちに出会うため。
私が生まれてきたわけは、友達みんなに出会うため。
私が生まれてきたわけは、愛しいあなたに出会うため。
春来れば 花自ずから咲くように。
秋来れば 葉は自ずから散るように。
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ。
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように。」
頭の中で回るぺぺの新曲の歌詞が、バトンを渡す新たないのちを祝福する。
御閉帳の日の夜、僕たち夫婦に第一子が誕生した。
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山地 弘純
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