四国遍路より帰ってすぐ、僕は善住寺の副住職として入山。
御本尊様と檀家の方々への報告法要を行った。
総代役員の皆様が代表で参列し、僕が帰ってきたことを喜んで下さる。
そして、「これで善住寺は安泰だ」みんな口をそろえてそう言ってくださるのだった。
その言葉は嬉しかったが、僕はいざ自坊に帰ってどう檀信徒の方と関わっていけばいいのか、全くわからなかった。
法事・葬式等の檀務に付き添うところから始まり、書道教室、御詠歌教室も少しづつ引き継いでいった。
「副住さん」と呼んで親しんで下さる方々。
坊主の卵ともいえる僕に、人生経験を豊富に積んだ年配のみなさんが敬語で話しかけてくださる。
法事の時には荷物を持ってくださる。
八十過ぎたおばあさん達が「副住さんは座っててください」といいながらよっこらよっこらと重いテーブルを並べてもくださる。
お坊さんというのは一つ間違えれば勘違いしそうな職業だなと思った。現に勘違いして偉そうなお坊さんもたくさんいる。
僕は自分で法事の荷物を持とうとした。
しかしあるおじさんがおっしゃった。
「僕は衣を持たせていただけることがごっつい嬉しい。」
それが本来の意味だったと後々知る。
仏様のものを持っていただくことによって功徳を得ていただくものだったのだ。
それから僕は恐縮しながらも持っていただく。
車でお迎えに来ていただくことだって同じ。
本当は自分で行き帰りすることはいくらだってできるのだ。
でも仏様をお迎えに来ていただくために甘受している。
そう、僕たちお坊さんは仏様を身にまとっているのだ。
しかし自分自身は未熟な若僧。敬語には敬語で返し、好意には感謝で返す。謙虚な心を忘れないようにしたいものだと思った。
法事を一人で勤める時は、数日前からドキドキする。
お経を終えた後の法話をしなければならないからだった。
お経が終わり、皆さんが念仏を唱えている間に僕に葛藤が訪れる。
えっと、まず挨拶をして、それからこのことを伝えるんだったな。
あ、それにこれも大事なことだった。
あ~うまく繋がらない。
どうしよ。うまくできそうもない。
今日はやっぱ話すのやめとこかな・・・。
そんな僕の脳裏に現れた同級生のシュウホウ君が喝を入れる。
「坊主が法話せんと意味ないで。大事さの比重からするとお経二割、法話八割やで!」
僕は意を決して話し出す。
顔を真っ赤にし、飛び出しそうな心臓を飲み込みながら、必死に言葉を探す。
いつだって下手くそで、まとまりがなくて、何度も同じことを言ってしまう。
自分自身の手ごたえもなく、くじけそうになる。法話しないお坊さんもいるし、もうやめてしまおうか。
しかしある法事の後、戸主さんが大きな声で、「今日はほんとにいいお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。」と言ってくださったのだ。
今日も失敗したと落ち込み気味だった僕は、思いがけないその言葉が本当に嬉しかった。
よし、これからも下手くそでも話し続けていこう。
タカオさんに言われたその言葉はずっとずっと僕の心の中に残っている。
とはいえ喜んで下さる時だけじゃない。
「今日のお話はタイトルはよかったけども中身がいかんかったな。」
そんな評価を下されて心底がっかりしたこともある。
「お寺さん、ええ年になるのに結婚もしとらんのか。それでよくそんな偉そうなことを言えるな」という檀家外の方の発言に、拳を握りしめ笑顔を作り続けたこともある。
それでも続けることができたのは、きっとシュウホウ君に負けたくないっていう思いもあったはずだ。
後年、高野山の宿坊のお風呂で思い出話に花を咲かせる二人。
「あの言葉のおかげで僕は・・・」
「あ~あれはちょっと言い過ぎた。お経五割に、法話五割だな~」
おい、シュウホウ君!(笑)
クリックして拡大してご覧ください。
ブログは読みにくいという方はこちらを。
山地 弘純
最新記事 by 山地 弘純 (全て見る)
- 兵庫県新温泉町飲食店テイクアウト情報☆ エール飯にご協力を!! - 2020年4月20日
- うちは現在アナ雪ブーム真っ盛り - 2020年2月20日
- 仲間が琴浦町にある「東伯発電所」の壊れた風車の視察をしてきてくれました - 2020年2月19日