土砂降りの雨で びしょぬれになった土佐中村市。防水加工のしたウインドブレーカーは雨を通して意味をなさなくなっていた。出航したばかりの舟に取り残され、寒さで震える僕にあるおじいさんが声をかけてくれる。僕は「喫茶ヨコハマ」に案内された。集まっていた近所の方々が約十名。「こんなにずぶぬれになって」言いながらストーブに案内された。まさかこの時期にストーブをしているとは、と思いながら体を温めたっけ。
「服を着替えなさい」と言われて濡れたものを全部脱いで着替えた。お店のおばちゃんは服を脱水機にかけてきてくれた。おばあちゃん3、4人くらいは、ストーブで僕の服を広げ持って乾かしてくれた。おじいちゃんはカッパを家まで探しにいってくれ、一番若いおばちゃんはコーヒーを奢ってくれた。見ず知らずの僕に至れり尽くせりのお接待。体以上に心が温まった素晴らしい出会いだった。
それと札所で最も標高の高い場所にあったお寺「雲辺寺」でのこと。ここも指折りの難所のはずだったが足取りは軽かった。山の冷気。草木に残る雨のしずく。ほてりを帯びた体に心地よかった。山の上にたどり着くと霧が立ち込めて十メートル先が見えない。突然目の前に現れる山門。すごく神秘的で感動した。
しかし次のお寺に着いた時、大変なことに気付く。「納経帳がない!」。あ、そういえばあの時あそこに置いて、と思い出し青くなる。またあの険しい道を登らなくちゃならないのか。それに納経帳が無事にあるかどうかも心配だ。そう思うと泣きたい気持ちになった。
まずは雲辺寺に電話してみよう。それから今日予約してある宿もキャンセルしないと。いろいろと頭を駆け巡るが、しばらく門の外で茫然としていた。その時、手を振りながらこちらに近づいてくるお遍路のおじさんがいた。「お~い、大変なものを忘れていっただろう。」
リュックの中から僕の納経帳を取りだして下さった時には、なんとお礼を言っていいかわからないほど感謝したものだ。
ほかにも次々と思い出される心の中の宝物。僕はそこで三十分ほど、ただボーっとしていた。
昨夜、結願についての本を読んだ。第一番を発願といい、第八十八番までお参りすれば結願という。僕は、文字通り願いが実を結ぶことかと思っていた。しかしそんな短期間何かをしただけで実を結ぶはずもない。本当の意味は、苦行を乗り越え、願いの実現に向けた精神的な決意を得ることなのだと知った。
決意か・・・。僕はずっとぼんやりと願って来た。いやほんとは何も願ったことがないのかもしれない。
へろへろになりながら辿り着いた加行結願の時でさえそうだった。お坊さんになりたいという強い願いがあったならば、お坊さんの道を進むんだという断固たる決意表明だってできただろうに・・・。
「願う」ということ。それは決意を伴うものなのだ。幸せになれますように。病気が治りますように。それらの現世利益を求める願いも、自分は幸せになるんだ、自分は病気を治すんだという決意の必要なものなのだと気付きもした。
自信が持てればいいな。そんな弱々しい思いでスタートした僕のお遍路は、ちゃんと発願をしていないに等しい。
やれやれ、僕の結願は保留だな。なのになんだろうこの気持ちは。穏やかな笑みと共に、晴れ晴れとした青空が心に広がる。とりあえず願い続けよう。決意ができた時、それが僕の結願だ。
翌五月十八日、霊山寺に行き、お礼参りをする。霊山寺から霊山寺まで四国遍路行延べ四十三日。歩行距離約四百キロ。こんな僕でもやり遂げることができたんだ。自分の作り上げた劣等感を浄化するかのように、体中にゆっくりと満ちていく達成感。歩き遍路に来て本当によかった。
呼応するかのように躍動する生命の息吹。頭上を吹き抜ける新しい緑色の風が心地よかった。
クリックして拡大してご覧ください。
ブログは読みにくいという方はこちらを。
山地 弘純
最新記事 by 山地 弘純 (全て見る)
- 兵庫県新温泉町飲食店テイクアウト情報☆ エール飯にご協力を!! - 2020年4月20日
- うちは現在アナ雪ブーム真っ盛り - 2020年2月20日
- 仲間が琴浦町にある「東伯発電所」の壊れた風車の視察をしてきてくれました - 2020年2月19日