専修学院での修行でなまった体が慣れるのには時間がかかり、相変わらず眠れないことも多く、それがなにより辛かった。
厳しい遍路転がしという難所を歩いていると足が靴ずれを起こしてしまい、足裏は血マメでいっぱいになったこともあった。
僕のガイドブックが車用のものだったため、道に迷ったり、大きく遠回りしてしまったこともあった。
しかしそうした苦難が訪れると、不思議と誰かが助けてくれる。
血マメに塗るといいよと言って馬の油をくださった方。
テーピングをくださった方。
杖の上手な突き方、靴の履き方のアドバイスなどもいただいた。
道に迷わないようにと、歩き遍路の目印の見つけ方も教わった。
多くの歩き遍路の方と、後を追ったり追い越したり、はたまた一緒に歩いたりする中で、自然と仲良くなることができた。
最初に声を掛けることさえできなかったお二人とも、いつの間にか打ち解け、様々なお話をした。
「死んだ娘の供養のために行ってみようと思ったんです。」
六十代くらいのその男性は、不意にぽつりと身の上を語り始める。
気のきいた言葉でも言うことができればいいのに、「そうだったのですか・・・」僕はそれ以上の言葉が言えなかった。
お遍路さんには様々な方がおられる。
就職浪人中の若い方、仕事が定年になった方、歩き遍路やバスや車、自転車遍路もいる。
札所のお寺でバスの団体の方々から声を掛けられる。
「歩き遍路なんてなかなかできることじゃないのに、すごいねー。頑張ってね。」
「若いのに素晴らしいね。」
「いえいえそんなたいしたことないですよ」と言いながらもいい気分で歩いていく僕。
そんな僕の前に、徳島最後のお寺で、専修学院の同期の仲間との再会が待っていた。
札所に就職した僕より年下の彼は、僕が泊まった宿坊の部屋に訪ねてきてくれた。
やや毒舌も交えながら彼がしてくれたお遍路さんのお話。
その中のあるフレーズが僕に突き刺さる。
「歩き遍路をしてるから偉いって思い込んでる人が多くて困ります。すごいでしょう、褒めて下さいっていうアピールをしてくる人がすごく多いんです。どう思いますか、なんて聞いてくる人がいたんで、それだけ暇とお金があるんですねって答えてやりましたよ。」
その瞬間自分に言われてるような気がして、恥ずかしさで身が縮んだ。
僕は自分がヒトカドの人物にでもなったかのような錯覚をしていたのかもしれない。
そうだ、彼の言う通りだ。
僕は再び自問自答をしながら歩きだした。
考える時間はたくさんある。
歩を進めながら、友人にありがとうと心の中で思った。
またある時には、道端で自転車に乗った五十から六十代の男性のお遍路さんに話しかけられた。
「宗教ってなんだと思いますか?」
唐突にそう聞かれ、僕は口ごもった。
それなりに勉強したはずだったのに、まったく答えが浮かんでこない。
それでも何か知っていることを答えようと口を開く。
「真言宗は即身成仏と現世利益が大きな特色で、・・・」
僕が語り出した瞬間、
「私はそんなことを知りたいんじゃない。自分の宗教がどうとかじゃない。キリスト教だって天理教だって素晴らしいものだ。讃美歌はいいし、踊り念仏も素晴らしい。真言宗がとかいう言い方は私は嫌いだ。」
そうまくしたて、口をふさがれてしまった。
僕は一瞬あっけにとられたが、だんだんと腹立たしさが込み上げてくる。
質問しておいて途中でそれを遮るなんて。
なんだか上から目線で試されているかのような物言いに、僕は顔を真っ赤にして反論しようとした。
しかし遍路をしている自分の身としては、ぐっとそこは我慢しなくてはと思い、ずっと「はい」「はい」と聞いていた。
別れてからも、ずっとこのやり取りが頭から離れない。
相手の態度はどうあれ、いやこういう態度で接せられたからこそ、僕の中で膨らんでいくのかもしれない。
嫌な思いをしたこの出会いもまた、僕のためになるお大師様からのお導きなのだと、後日気付いた。
純粋に僕は答えを欲していた。宗教っていったいなんなんだろう。
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山地 弘純
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