え~?あの弱かったダイエーホークスが初優勝したの~?
嘘~。サッカーワールドユース日本代表が準優勝?
世の中の流れは速く、まるで浦島太郎だ。
はやりのファッションも、音楽も、芸能人もわからない。
売店で買ったスポーツ新聞を見ながら何度も目を丸くしていた。
閉ざされた空間での生活は、まるで時間が止まっていたかのような錯覚に襲われる。
毎日毎日普通に生活していたら、変化などほとんどなく一年が過ぎるような気がするが、一年間というのはあまり巨大な時間だ。
修行を終えての娑婆の世界は格別な風景で、なにもかも新鮮に感じられた。
大阪から約3時間半。
ようやく特急北近畿は「浜坂駅」に到着した。
母さんが車で迎えに来てくれている。
母さんは変わっていないな・・・。
助手席に乗り込み、軽く話をしながら窓の外を眺める。
見慣れた景色が広がっている。
15分ほど車を走らせ、うちに着いた。
車を降りると、懐かしい風を感じる。
大学の時だっていなかったけど、こんなことを感じたことはなかった。
あ~、やっぱりここはいいな~。
目一杯我が家の空気を吸い込んだ。
何も変わっていない。
父さんも、母さんも、じいちゃんも、ばあちゃんも、愛犬ララも。
お寺の本堂も、山門も、庭も、たくさんの仏様も。周りの景色も、静寂も・・・。
みんな変わらぬ姿で迎えてくれた。
きっとみんな変わってるんだろう。でもそれを感じさせない、ゆっくりとした時の流れに心が安らいだ。
久々の団欒。
僕が無事に加行を成満したことで本当に家族の家族みんなが喜んでくれた。
認知症でわからなくなっているじいちゃんも、どこかご機嫌だ。
あの時もし諦めていたなら、いったいみんなどんな表情を僕に向けたんだろう、そんなことを考えてみる。
きっとみんながっかりする気持ちを押し殺して、やっぱり変わらず明るく迎えてくれるんだろう。
ただ、僕がそれにいたたまれなくなるだけ・・・。
よかった。一緒に笑うことができて。
嫌いだったはずのナスの煮物が、やけに美味しかった。
次の日、僕が加行中に焚いた護摩の御札をいろんな人に配っていく。
ウチの住職のお弟子さんで、いつもお寺のことを一番に手伝って下さるおじいちゃんにも持っていった。
きっと形式的な挨拶で「これはご丁寧にありがとうございます」と受け取るくらいだろうな~と思っていたし、僕もついお土産を配るくらいの気持ちでいた。
しかしそのおじいちゃんは、僕の両手をきつく握りしめ、涙を流しながら、「ほんとにありがとう!」と搾り出すような声で言った。
頭を下げたまましばらく動かないおじいちゃんに、僕はどう返していいかわからない。
帰り道、ハンドルをとる僕の両手には、いつまでも痛いほどに握りしめられたおじいちゃんの手の感触がジンジンと響いていた。
駐車場を入ると右側にある無縁墓。
山門を入る前に安置されている六地蔵さま。
山門を入ると境内の左におられる弘法大師さま。
右にはずらりと並ぶ水子地蔵たち。
正面に悠然と立つ善住寺本堂。
奥にたたずむ阿弥陀堂。
楠や松の巨木。
しみじみと、ここは落ち着く場所だな~と思う。
お寺に生まれて、お寺で育ち、お寺を継ぐ。
これが望ましいことだとは思わないが、僕はその準備を終えた。
中興12代目住職のじいちゃん。13代目住職の父さん。そしていつかは受け継いでいくであろう14代目の法脈。
いったいよそのお寺の後継ぎさんは、どういう思いで継いでいくのだろう。
僕は当然のように後を継いでいくことに対する違和感は絶えないし、まだまだ誇れないし胸を張れない。
だけど自分自身思い始めていた。胸を張れる職業に就くのもいいけど、就いてから胸を張れるところを探していけばいいじゃないかと。
そのために、まずは決められてきた人生を自分で決めたい、そう強く思った。
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山地 弘純
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