極寒の中、いよいよ修行は最終段階に入る。
今まで使ってきた壇を片付け、代わりに護摩壇を設置した。
この加行の総仕上げの時が来たんだと気持ちが高ぶる。
護摩の行法は一座が4時間くらいかかった。
三座勤めると12時間。一日の半分。
時間的な余裕は全くない。
起床時間もますます早くなる。
より苦しくなるものだと覚悟していた。
しかし、護摩を焚くのは楽しかった。
みんな生き生きとした表情で火を焚いている。
メラメラと一定の勢いで燃え上がる炎を眺めていると、なぜだか僕は心が落ち着いた。
と同時に、火というものの魔力というか怖さも感じて、決して誤った使い方をしてはいけないものだなとも改めて思った。
ノウマクサンマンダーバーザラダンセンダーマーカロシャーダーソワタヤウンタラターカンマン。
ひたすら真言を唱えながら、次々に板札をくべていく。
護摩の御本尊、お不動様を心に想う。
右手に剣、左手に縄を持ち、背中に炎を背負った仏様。
自分の煩悩や降りかかる災いを、その縄で捕まえ、剣で断ち切り、炎で焼き尽くす仏様なのだと教わった。
僕は自分の弱さや迷いを、燃やし尽くすことができるのだろうか。
それに自分だけじゃなく、いつかは、人々のために護摩を焚かなければならない。
ゆっくりとだが、着々と時間は経過していく。
終わりが迫ることで、ますます集中する。
その中でわかったことがある。
加行をしたから悟れるというわけではないということ。
自分が何者かになったつもりになるのは大間違いだってこと。
だけど、自己満足はできる。
焦げて穴の開いた如法衣、汗が染み込んで艶々に光る数珠。
全てはくぐりぬけて来た修行の日々の証。
そして、ついに迎えた最終日。
僕らはやり遂げた。長
かった100日間。
最後の護摩の一座を終え、道場を出て行く。
結願の瞬間だった。
廊下を一歩一歩思い出と共に踏みしめながら、多くの人が涙を流していた。
僕もこの100日間のことが走馬灯のように頭を巡った。
信じられない。
よく辿り着けたものだ。
ほんとにあきらめなくてよかった。
こんな僕でもやり遂げることが出来たぞ~!そう大声で叫びたいほど嬉しかった。
ただ、ほんとにこれでいいんだろうか。
早く終われ、早く終われと願って来た100日間。
いざ終わってみると、100日という日数だけ消費すれば、誰でも僧侶になっていいのかという疑問が湧いてくる。
僕は中身のない、上辺だけの薄くてペラッペラな坊主なのに。
自問自答する。
僕になにができる?
自分の体のことだけで精一杯なこの僕に。こんなにも弱い僕に。
何もできやしないだろ。
それとも、ただ事務的に葬式の作法だけを淡々とこなしていればいいとでもいうのか。
修行を終え、一月からは再び授業をこなし、三月の末にいよいよ卒業式を迎えた。
この日をどれだけ待ちわびたことか。
ほんとに嬉しい。
卒業証書、そして僧侶の資格、法衣の着用許可、托鉢の許可など、様々なものを授与される。僕は重みを感じながらも、謹んで受け取った。
久しぶりに私服に身を通して、宝寿院の門の前に立った。
ここを出るのを思い留まったあの夜の記憶が蘇る。
よしっ!今度は躊躇することなく歩みを前に進める。
みんなは名残惜しそうにしている。
もっと長くここに居たかったとでもいうのだろうか。
冗談じゃない。
僕は出来るだけ早くここを出たかった。
門の外の空気が吸いたい。
僕はさっさと門を出て、一気に階段を駆け下りた。
下りきって立ち止まる。
振り返りはしなかった。
さよなら、宝寿院。
もう二度と来たくないや。
目をつぶって思いっきり深呼吸する。
すう~っ、はあ~っ。こんなに美味しい空気は今まで吸ったことないほど、全身に染み渡る。
代わりに吐き出したのは、この1年間苦々しく溜め込んでいたもの。
さぁ帰ろう、みんなの待つウチに。
肩に背負っていたずっしりとした重みが、一気に軽くなった気がした。
なんでもいいや。とりあえず終わった。
僕は大きく伸びをすると、足早に歩き出した。
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山地 弘純
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