4月28日、高野山開創1200年記念大法会において、教師会長として但馬より集いし金剛講員たちとともに、根本大塔内での但馬地方本部奉詠舞大会を見事に成満。
・・・のはずだった。
遡ること10日前。4月18日。
朝起きるとともに、ピキっと左のあごと下腹部に痛みが走った。
すぐ治るだろうと普通に仕事。三日後に迫った会議の資料を各地区ごとに振り分ける。
だけどなんか身体が重いしおかしい。
熱は測ると微熱。37度前半。
午後からの書道塾は母に変わってもらい、ベッドに転がる。
4月19日
熱が38度台に上がり、両あごが腫れてくる。
そしてそれよりも困ったことが・・・。
こ、股間がキ~ンっ!
なんか袋が収縮してるような気がしてたけど。。。
見てみると、「きゃ~、なにこれ!」
袋が収縮してるんじゃないよ~。中身が腫れてんだ~!!!
自我の肥大とかブログ買いとる場合じゃない。
タ〇タ〇の肥大に苦しむ僕、38才♂。
間違いない。
これは娘からおたふく風邪を移されたんだ~。。。
食欲もなくなるが、断食して消化に回ってる機能を解毒に回そうと思い、昨日の夜から明日の夜まで結局7食を完全に抜く。
高野山での行事にはきっと間に合う。いや、間に合わせてみせる。
4月20日
熱は38度後半になり、町内の個人医院へ。
はい、おたふく風邪認定。
診察では恥ずかしいところをさらす。
あ~、むき出しの自分をさらけ出せってスピケアの先生が言ってたけども、ここまでさらけ出さないといけないのね。
「紹介状書いときますので、大きい病院の泌尿器科に行って下さい」
こんな時だからこそと、寝てる間にフェイスブックに投稿したり、たくさんの方から受けた悩みのメール相談のやり取りをしたり。
ある意味充実。
お医者さんから言われたこと。
「睾丸、冷やして下さいね。」
おたふく風邪にともなう精巣炎。
「熱さまシート」だか「冷えピタ」だか忘れたけど、それで股間を冷やす作業もせっせと行ったが、効果はわからない。
4月21日
ってことで、大事な年に一度の会議を欠席し隣り県の中央病院へ。
運転は妻。
僕は股間の痛みで、寝てる分には大丈夫なんだけど、起き上がると歩くのがやっとの状態。
男って、ここが力の源なのね。
力が・・・、力が、まったく入らないよ(涙)
泌尿器科の先生「う~ん、腫れとるね~」
にこやかで、とってもいい感じの先生が僕に問いかける。
「え~っと、お子さん何人?」
「3人です」
(満面の笑みで)
「うん、そんじゃもういいよね。」
「え? は、はい。。。」 (僕、つられ笑い)
にしても、子作り前の夫婦には笑えないよおたふく風邪は。
僕も執着を断つにはまず男を断てということか。
カルマを抜けるにはその原因の種を断て。
抜業因種。
種を断て。
種を断て。
種を断て。
僕もついに種が断たれるのか・・・。
帰ってから、ゼリーやおかゆを口にするも、強烈な吐き気。
だけど、熱はいったん下がり始める。
36度台後半を表示したときもあった。
これは治る!
娘もこれくらいの日数で治ったもんな。
一瞬の希望は夜中にかき消される。
なんだこれ。
39度越えてるやないか~
4月22日
朝から高熱と吐き気で悩まされる。
ついに40度。
思い返すと、もっとも辛い日だった。トイレにやっとのことでたどり着くも、なんだかクラクラして、意識が遠のきそうな感覚。
ここで朦朧とする意識の中で思考とのやり取り。
「あー、僕に自我を手放せというのですね。口ばっかじゃなくて、行動で示せとおっしゃるのですね。あーなんかもうどっか違う世界行きそうな感じがする。このまま抜かれちゃうの~。あ~、でも、やっぱりできな~い。」
とかなんとか思考のやつが言いながら、ぐっしょりと冷や汗をかいて意識がしっかりと戻る。
高熱が原因か、迷った思考が原因か、蓋にもたれ便座からずり落ちそうになりながらも、「ふふふ」と笑う僕はヤバい人(笑)
4月23日
朝から嘔吐。再び個人医院へ。
点滴をしてもらうが、グッタリしている。
看護師さんがじっと僕を見ながら、
「なんか本当に顔色やばい。だいじょうぶ?」
そして再び紹介状を書いてもらい、大きな病院へ。
「入院の準備をして行って下さい」とのこと。
即直行し、今度は内科受診。
そして検査の結果・・・
股間部以外の合併症はないので、お帰りなさいと・・・。
「おたふく風邪には薬はありません。
ウィルスがなくなるまで、ただ耐えるしかないんです。
大人になってからのおたふく風邪は本当に辛いですよね」
でも、帰らされるのか。
入院して、早く治したかった。
もう日にちがないよ~。
広い病院。おじいちゃんおばあちゃんにも抜かれながら、下腹部を押さえヨタヨタと歩いた。
ロキソニンを飲まずに頑張ってたけど、お医者さんに使用を強く勧められたのでついに飲む。しばらくは熱も下がっているが薬はやっぱり使いたくなかったな~。
ムンプスウイルスさん、早く出てって!
4月24日
熱はやはり39度に戻る。
高野山出発二日前。この日ついにあきらめた。
「ま、いっか」
意外とあっさり諦められたのは、我執を手放そうとしてきた成果だろうか。
こんな大きな機会。
みんなで行こうと誓い合った舞台。
ま~、ここでこけるのが僕らしいや(笑)
ほんとにね、ここにモヤモヤした感情が残らなかったんだ。
4月25日
やはり熱は39度以上。
もうやだ・・・。
タ〇タ〇の大きさは、4倍くらいになっている。愕然!
あ、悪化してるのか。
またロキソニン。。。
4月26日
相変わらず39度。
いつ下がるんだろう。なんかもう下がらないんじゃないだろうか。
というかどんどん悪くなってるんじゃないだろうか。
元気ってことがどんなことだったのか、もう忘れてしまいそう。
両親は大行事に向け、早朝より高野山に出発。
見送ることもできなかった。
身体は衰弱。
なのにあごの腫れのせいで太って見える始末。
ずっとしんどくて剃ることも忘れていた髭はボウボウ。
初めて鼻の下とあごの髭がくっついて泥棒みたい。
4月27日
いよいよ大行事当日。
やはり続く高熱に、グッタリ。
「あ~今頃みんな奉詠してるんだろうな。
僕の役割がたくさんあったのに、迷惑かけちゃったな。」
どうやらちょっとは迷惑をかけたっていう思いも浮かんできた模様。
でももう僕は知らんわの方が大きく、とにかく眠る。
「開創1200年という大行事にみなさんと立ち会えること、この巡り合いの奇跡に・・・」
とかなんとかかんとか大演説をうったのは、もう忘れて下さい(笑)
午後から熱が下がり始める。
後から聞いたんだけど、御詠歌隊のみなさんが僕の顔を思い浮かべ、一緒に行けなかったことがさぞかし無念だっただろうなとか思い、涙をながしながらお唱えして下さったとか。
きっとそんな祈りが僕に届いたのかな~、なんて思った。
あくまでも思ったのは完治してからだけどね。
4月28日
熱が下がる一方になってきた。ホッとした。
もう上がらないでくれよ。
4月29日
ついに身体を起こし、歩いてみようという気になる。
だいぶあごも股間も腫れもひいてきたようだ。
ご飯をようやく台所で食べてみようという気になり、久しぶりの団欒。
そして30日、1日と、さらに身体を起こす時が長くなり、
そしてついに5月2日、床上げとなる。
寝たきり丸二週間。
ほんっとに長かった。体重は4キロ近く落ち込んだ。
あごの腫れがなくなって改めてゲッソリしたことに気づく。
これほど大人のおたふく風邪がしんどいものだとは思わなかった。
病気は体内のデトックスだというけれど、スーパーデトックスだったな。
でも、もう勘弁して。
仕事もたくさんキャンセルし、親にはたくさん負担をかけ、御詠歌の方々にもがっかりさせてしまった。ごめんなさい。
そしてカバーして下さって、ありがとう。
ちなみにまだまだ身体の芯には力が入らず。
股間はもう少し腫れが残ってる感じがする。
いったいいつ治るのだろう。。。
それにしても髄膜炎や難聴の合併は起こさなくてよかった。
もしなってたら、もっともっと苦しいんだよな~。きっと。。。
ほんとにほんとに、
おたふく風邪、おそるべし!
まだおたふく風邪してない人、ぜひ予防接種を!!!
山地 弘純
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