自己肯定感の低い人が増えているらしい。
僕はそれは自我の肥大した現代社会に問題があるんじゃないかと思うんだけど違うだろうか。
しんどいだろうな。苦しいだろうな。
「私はダメな人間です。」
「私は価値のない存在です。」
僕も不眠症の時、そればかり思ってた。
そんな否定的な言葉に、経文の中で弘法大師様はそっと答えてくれる。
「あなたの本性は覚りそのもの。だからあなたはものすごく価値のある存在なんです。
あなたの価値は言うなればダイヤモンド。
今はただの石ころにしか見えないかもしれませんが、わたしにはあなたの内から滲み出る光がわかります。
そう、わかる人にはわかるのです。医学に通じたものなら道ばたの草木から薬を見出し、解宝の人はただの石ころから宝石を見つけることができるのです。
あなたはダイヤの原石。
だから、誰もあなたの価値を否定することはできません。そしてあなた自身にもあなたの価値を否定することできないのです。
あなたは気づいていません。あなたの存在がどんなに素晴らしいのかということに。」
本覚思想。
それはあなたの存在の大肯定。
たとえ他者に認められなくても、否定されようとも、それは揺るぐことのないもの。
まずはそこを信じることがスタートになる。
自分の価値を信じる。根元には存在の大肯定があるから、だから大丈夫って。
そしたら進んでいこうか、ゆっくりと。
表層を覆ってる、堅い堅い自我の執着を削り落としにかかろう。
誰かに勝ることで自分を示そうとしてきた。
人のできないことをできることが存在価値だと思ってた。
自分を守るためなら、他人を落としてでも自分を上げようとしてきた。
すごいでしょ。
ねー僕を見て。見て。見て・・・。
必要だって言って。ねえ、言って・・・。
ほんと自我への執着で作り上げられた価値観や概念ばかりだな~。
貼り付けすぎて、肥大してるよね。
こりゃしんどいわ。
一枚一枚はがしていくと、ダイヤモンドのようなキラキラに輝いた自分、ありのままの自分がそこにある。
この自我執着が剥がせないと、この肉体の中に一つ一つ心を囲ってしまっていることになり、お互いの対峙を生む。
そうじゃなくて、その肉体ごとに仕切り目なんてないことを見抜き、自我執着を剥がして心を外に開いた時、心が肉体を包んでいるという今までと逆の感覚を味わうことができるのだろう。
自分と他人を分けて物事を見ないこと。
人と対峙するんじゃなくて。一体化すること。
相互戦争から相互依存へ。
心はそれができるんだよ。
本(もと)より覚ったあなた。
そんなあなたがこれからすることは、ただ我執を下げていけばいい。
我執が下がればね、今まで見えなかった感謝がどんどん見えてくる。
そうすると今のままでいいってわかるはず。
幸せになろうなんて思わなくても、幸せだって気づくこともできるはず。
羨むこともない。
妬むこともない。
生かされている。
おかげさま。
山地 弘純
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