今年は高野山開創1200年の記念すべき年。
この記念の年であるからこそ、今こそ空海の教えのすさまじさ、偉大さを少しでも知っていただき、再び熱を高めていきたい思いで、各地では大いなるイベントが行われている。
高野山は八葉蓮台と呼ばれる。
周囲の山々を内外八葉の蓮の花びらに見立て、その花の中心である蓮台の上に高野山がある。
そこは、我々の「こころのふるさと」
なぜか。
僕たち一人一人の中には八葉の蓮華があると思えという。
そう、いまだ開かぬ蓮のつぼみがある。あくまで象徴である。
男性は上向き、女性は下向き。
天に向かって悟る男性と大地に向かって悟る女性の性質だという。
これは人間の目から見た上下なので差別ではなく、逆立ちすれば女性が上向きで男性が下向きである。
自分は心の汚い人間だ。
自分はいつもイライラしてばかり。
自分にはどろどろした感情しかない。
誰しもそんな風に卑下してしまうのだろう。
しかし誰しもが必ず蓮の花のような美しいものを持っているのだ。
ただ開かない。
いや自我執着故に開きたくないのかもしれない。
この有ると信じる妄念が邪魔をする。
傷つきたくないからどんどん塞いでいく。
透明人間が包帯をぐるぐる巻きにしていくようなものだろうか。
怖くても、傷ついてもその囲いを解こう。
蓮の花を開くこう。
大丈夫だから。
泥水に染まったりしないから。
誰しも我執をなくせない。
それならばまずなくしたイメージを持てということか。
蓮を開き、自分と周りとの垣根をなくし、すべてのものに境目はないということを観じること。
蓮の花が開いたならば、際限なく開かれた大きないのちに抱かれて座している自分を思い浮かべることができる。
そして蓮の根は泥中にあり見えなかったが、確かに全てと繋がっていることを体感できるだろう。
普遍的無意識と繋がる本当に素晴らしいイメージだと思う。
僕はずっと自分のために生きてきた。人の為っていうのも漢字の通り偽りだった
。それでも人のためって思ってはいた。これをお大師様は10段階の下から二番目くらいに位置づけている。
最も下のランクは、「ただ性と食を思い続けているだけの羊」と手厳しい。
無我を知る段階はまだ4段階。う~ん、これはなんと深いんだろう。
これから縁起を知り、苦しみの種を抜く段階。
境をなくすゆえに芽生える慈悲の段階。と段階は10まで登っていく。
自利利他(自を高め他に巡らす)行とし、よかれと思い行うことも、自我に執着すれば心を曇らせるそうだ。
我執恐るべし。
とりあえず自分の心に他人を映すのをやめたいものだと思う。
他人のどんな表情を読み取っても、どんな攻撃性を感じても、否定されても、それを流せる人になれたらって思う。
悟れないものほどよく語るっていうけど。。。
それでも今遅ればせながらも、仏教を知ることができること、知りたいという純粋な欲求が湧き出してきたことが、ただただ嬉しい。
高野山御開創1200年。ぜひ八葉の蓮台に上り、自らの心を象った聖地を味わってみてはいかがだろうか。
山地 弘純
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