もちろん誰かが悲しみや苦しみを持ってきた時に、
「気のせいです」
なんて言えるはずもないけれど・・・。
だけど、それが真理なんだよな~。
自我はあるんだ。
手放したくないんだ。
その観点からいくと、すべての感情を大切にする。
つまり認めてやり、とどめてやらざるをえない。
でも無我だって考え方ならば、喜びも怒りも悲しみも楽しみも、いのちの息吹、気の出入り、つまり気のせいなんだ。
入ってきた瞬間だけを味わえばいい。
そうか気のせいだったんだ。
「気のせいだ」って言葉で済ましてしまえれるんだ。
そうするとこの言葉も効いてくる。
切り離せないものを切り離そうとするとこの言葉には無理ができるけど、切り離れせるものを切り離すならこれ以上の言葉はない。
「ま、いっか」
あ~やばい。僕の得意でない言葉ばかりだ。
やっぱり大事に大事に感情を持ちすぎてたな~。
水は流れ続けると澄み切っているけど、滞ると濁ったり腐っったりしてしまう。
やばいな~、我執の塊だわ、わかっちゃいたけれど。
だけどやっぱり仏教ってすごいかも。
「気のせいです」
「ま、いっか」
なんだよ、仏教って適当な教えだな~。
みんなもそう思わない。
そうなの!
適当で、いい加減な教え。それが仏教。
片寄りをなくした、ま~んなか。
とってもとってもいいバランス。
とっても適当で、とってもいい加減。
お釈迦様はこれを中道とおっしゃった。
そういえば今が旬のカウンセラーの心屋さんのブログを友達がシェアしてるのを見たんだけど、片方に執らわれたものを真ん中に戻すには、極端でないと戻せないっていう感じの言葉があった。
まさに自我に執着するように求める現代においては、仏教の無我はものすごい力を発揮すると思うんだけど、いかが?
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山地 弘純
住職
真言宗のお寺『善住寺』の住職。瞑想誘導、心の相談、陰陽統合セッション、カウンセリングなど心の寺子屋としての活動に力を入れる。夏休みの寺子屋体験、春休みのお遍路体験など、子供たちの集まる企画も大人気。大人も子供も笑顔をいっぱいに表現できるフィールドとしてお寺を活用していくべく邁進中。ブログは自己の気づきを綴る中に、生き方のヒントとして発信している。
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