鎌田先生からいただいたバトン。
ほんとはこういう系のバトンは苦手なんだけど、いただいたのが先生だったことと、今きっと感謝を振り返る「時」なんだと感じて、お受けしたいと思いました。
まず父さん。
父さんはきっと我慢ばかりしてきた人だと思う。厳しい両親に育てられ、激しいほどの躾とコントロールの中に生きてきたはず。きっと僕なら壊れてもおかしくなかった。
昔認知症のじいちゃんを抱えていた時、何かのアンケート記入を母さんが父さんに聞く形でしていたことがあった。「認知症の親の世話をしたいと思いますか」という質問を父さんに投げかけたとき、「したいってなんだ。せにゃならんだろうが!」と怒って声を荒げた時にはびっくりした。僕は高校生の頃だったがずっと覚えている。
きっと「ねばねば」で育てられ、なにか吐き出せないものをたくさん抱えての言葉だったのだろうと、今更にあの時のことを思い出す。
ただ、父さんは世話をする時にもっともじいちゃんに優しかった。もっともニコニコと関わっていたと思う。僕はその姿が忘れられない。
だから僕は両親を介護せにゃならんなんて思わない。できるだけの世話をしたいって思う。
ある時話してくれたことがある。「お前たちに自分が味わったような嫌な思いをさせたくない」と。
父さんはいつだって弛めてきてくれた。なんだかんだと我が家にも不調和なスパイラルがある。 僕はそれを責め立てたり反抗したりした。でもそれを一生懸命弛めようとしてくれていたことに、僕を一生懸命守ろうとしてくれていたことに、僕は最近気づいた。
僕は父さんがずっと持ち続けてきた苦しみから、きっと抜け出せてる。ありがとう。
そして母さん。
いつだって家族の潤滑油で、うまく取り持ってくれた。きっと母さんがいなければうちの家族はばらばらになってたと思う。
やっぱり一番忘れられないのは、僕が不眠症で「もう生きていても意味がないって」言葉をぶつけたとき、「今の薬が効かなくなったら次の薬がある。それが効かなくなったらまた次の薬が。だから心配しなくていいよ」という言葉をかけてくれたこと。その言葉は僕に「大丈夫」って気持ちを与えてくれた。とても大きかった言葉。
母さんこんなすがすがしい日が再び来るなんて思わなかった。ありがとう。
そしてばあちゃん。
とても厳しいばあちゃん。子どもの頃はずっと我慢してきたけど、大人になってからは何度もぶつかった。僕はずっとそれはばあちゃんが生み出していると思ったけど、最近はやっぱりばあちゃんもそうやって育てられてきたのだということがやっとわかってきた。
音信不通になってしまう100日加行に入る直前に届いた手紙と荷物。中には干ししいたけが入っていて、不眠改善のために水に浸して「しいたけ水」を毎日飲むようにって書いてあった。
睡眠薬の次にすがるものとして、毎日一生懸命そのまずい水を飲んだっけ。
効果はあまりなかったように思うけど、その心配してくれる思いがとても嬉しかった。
厳しいくせに神経が細くて、人情深いばあちゃん。ありがとう。
山地 弘純
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