10月4日には京都府城陽市の「あそかビハーラ病院」での心の相談員研修会に参加しました。
西本願寺が設立した平屋建て全28床の日本で一番小さなガンの緩和ケアを行う病院です。
ビハーラとは「僧院」「休息の場所」というような意味。
医師、看護師と共に、僧侶がチーム医療に加わっているのが特徴です。
日本で緩和ケア病棟がある病院が約400あるのですが、病院全部が緩和ケアというものは7ヶ所だけ、さらに僧侶が常駐しているのは三ヶ所だけだそうです。
といってもこの場所は治療は行わないとのこと。
人生最後を生きる場所であり、生きていることを支える場所なのです。
西本願寺は浄土真宗。
我々心の相談員は真言宗。
それでも宗派が違うとか関係なく、そこを越えたスピリチュアルな領域にある、僕にとってすごく興味深い施設でした。
みんなが集うスペース
一人部屋(和室)
洗面台の鏡は顔が見えないように、ロールカーテンを降ろしています。
家族室
あそかの間(一人になりたい時のお部屋)
施設内を見学した後、まず院長先生にお話をお聞きしました。
畑仕事を共にした患者さんとのお話。
引きこもりの患者さんとのお話。
絵を描くことが好きだった患者さんとのお話。
バイク好きの患者さんとのお話。
それぞれに向かって、
「これだけはやっておきたいことってありますか?」
と問いかけ、できる限り叶えてあげる医療チームの皆さん。
時に社会のルールよりも大切なものがある、それは明日のない患者さんの願いだという言葉が、僕にはとても響きました。
ドレスコードは白衣禁止。
ペットOK。
タバコも最後まで。
患者さんとスタッフとビールで乾杯もする。
距離感近めで、その人の自由を尊重するスタンス。
ここは最後の最後までやりたいことをやるには最高の場所なのかもしれませんね。
平等、公平とは全ての患者さんに同じように接することではないともおっしゃいました。
それぞれに違う人生を歩み、いろんな生き方をしてきた方々に対し、違った接し方であったとしてもその生き方に沿うことが本当の平等であり公平であると。
全ては患者さんの中にあるもの。
新しいことではなく患者さんの中にあるものを大切にするのだと。
その人から出た言葉が一番安全性が高く、僕たち医療者の言葉は新しい考えなので危険性があるとも語られました。
それはたとえ家族であってもだそうです。
まず初回外来で一時間半かけて家族に伝えます。
家族の意向ではなく、患者さんが第一であると。
改めて僕はその人の世界のリスペクト、自分の思いと他人の思いとの境界を侵さないことの素敵さを思いました。
そして常に、「これだけはやっておきたいってことある?」と今この瞬間の自分に問いかけながら生きていきたいなと胸に誓いました。
終末を生きる人たちは常に死を目の前に感じておられるので、この問いをする真剣味やそれに応える純度が違いますね。
最後に質問で、仲間が僕も気になっていたことを聞いてくれました。
他宗教の方は入ってこられるのかどうなのかということです。
その答えは、創価学会の人が入所されて、最初は騙されたとか言ってたそうですが、だんだんと僧侶との散歩が楽しみになったということ。
親鸞像が建立された時も特に嫌がったりしなかっとか。
僧侶も教えを押し付けたりしないですからということでした。
(「無憂樹」はお釈迦様が生まれた場所にあった樹です。悟りの場所にあった菩提樹、亡くなられた場所にあった沙羅双樹とともに「仏教三大聖樹」と呼ばれています。無憂樹の別名をあそかの樹というのだそうです。)
次に看護婦長さんのお話です。
「私は人の話を聞くのが得意です」ということで売り込んで来る人がいるのですが、それはちょっと違う。
私たちは人の話をよく聞くこと以上に、苦痛を和らげることをまず考えるのですということをおっしゃいました。
また、これからはますます僧侶がこの役割として必要だと思うという言葉も印象に残りました。
(船底をイメージしてつくられたビハーラホールの天井。悟りへ向かう教えの船に救い上げられるのです。)
最後に常駐僧侶の方のお話がありました。
僕にとってはやはり自身と重ねながら聞いてしまいます。
死や死後についての思いを受け止めること。
求められれば仏教の教えや死生観をお伝えすること。
仏事の相談。
朝晩のおつとめ。
初盆法要の実施。
などが僧侶としてできることだそうです。
またご本尊を安置したビハーラホールの存在も大きいく、それぞれが阿弥陀如来様を通して思い思いに自身との心の対話をしているとのこと。
面白いなと思ったことは、患者さんのご家族で子供たちが来たら、僧侶が全力で関わるということです。
寺子屋をして、夏休みの宿題を一緒にしたりするのだそう。
子供達が命を学ぶ場として、できる限りたくさん一緒に過ごすということです。
また、初盆法要を行なった後の、残されたご家族の感想が深く染み入りました。
退院後の関わりが嬉しかった。
一つの区切りになった。
スタッフに会いたかった。
同じ気持ちの人たちと会えてよかった。
などなど。
僕はどこかその初盆法要の一体感が羨ましかったです。
生まれたことにもその人にとっての意味があり、
病気になったことにもその人にとっての意味があり、
死んでいくことにもその人にとっての意味がある。
その意味を共に寄り添って、その人が探すお手伝いができればと思っています。
そんな言葉で最後を綴られました。
ビハーラっていいところだなと思いました。
医師、看護師、僧侶の三位一体チームって素敵だなとも。
終末はこんな場所で迎えたいな。
心の相談員メンバーたちによる年に一度の全体活動。
僧侶、看護師、介護士、美容師、会社員など職種様々な仲間と一緒の、とても学びの深い一日でした。
ありがとうございました。
※追記
あそかビハーラ病院で調べていると、僕にとって仲間と自主上映した思い出深い映画「うまれる」の豪田トモ監督が取材されている記事に行きつきました。
ここでも僕の中で伏線と伏線が繋がったという感覚がして感激しています。
そこで大嶋院長が豪田監督に語った「旅立ちを見せるのは、親ができる最後の子育て」という言葉もまた、僕の中で大切なものになりそうです。
(うまれるHPよりコピペ)
映画「うまれる」ホームページ
http://www.umareru.jp/blog/2012/12/post-871.html
僕たちが上映会をした時の様子はこちら
『映画「うまれる」上映会成功おめでとう』
https://ameblo.jp/anzac76/entry-11879326532.html
山地 弘純
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