「ずっと中断している夏休み子供修養会を復活させたい」という父の言葉に、ただ漠然と「いいんじゃない」と相槌を打ったのが始まりだった。 以前、父が若かりし頃に寺子屋らしきことを行っていたということだ。
新たな船出である1泊2日の子供修養会の名称は、僕が何となく閃いた『寺っ子体験スクール』。 隙間だらけのルーズなプログラムを作成し、経験の深い父にただ付いていくだけだった第一回。
二〇〇一年、日韓W杯の前の年だった。
翌年、そんな僕に勉強しろとのお大師様からのお導きか、第一回青少年教化指導者養成講習会(寺子屋を開こう)が高野山で行われた。 タイミングの良過ぎる講習会の案内に少し躊躇しながらも受講し、講師の先生方より多くの実用的なテクニックを学んだ。
早速その年の寺っ子スクールより実践。 よその寺の内容を遠慮なく拝借し、更には講師の先生方の猿真似を駆使しながら、子供たちとのコミュニケーションに悪戦苦闘したものだ。
一年一年回を重ねるにつれ、やっと自分のものになってきたという感じだろうか。 だが、まだまだ子供たちの反応を窺いつつ、自信を付けたり落ち込んだりの繰り返しである。
第三回からは衣装を揃え、一休さん姿に変身。 より引き締まった環境でおつとめが出来るようになった。
朝夕のおつとめと座禅、写経、写仏(ぬり絵)、数珠作り、お茶作法、お習字、お掃除などの修行の合間に、自己紹介ゲームやお楽しみ会などを挟み、ようやく善住寺オリジナルのプログラムとして充実してきつつある。
しかしその一方で、五分や十分の休憩時間になるとダッシュで庭に集まり、寸暇を惜しんでボールで遊ぶ姿を見ると、もっと自由時間を増やした方がいいのでは、という思いも無きにしもあらずである。
スタッフとしては、うちの家族とご近所の方が二、三名。 更には安養寺のシュウホウ君や萬福寺のショウコウさんのボランティアでの参加に甘えたりして、何とかやり繰りしている。
とはいえ、肝心の子供の方が過疎化により激減しているのが不安なところである。
それにしても子供の心は難しい。 いつまでも子供の気持ちを忘れない大人になりたい、昔はよくそう思ったものだ。
しかし、年齢を一年一年重ねるごとに、子供の心からも遠ざかっていってしまう。 「果たして蒔いたこの種は…」などと考えるのはよそうと思った。
僕に出来るのは、目一杯一緒に笑い、たわむれることだけ。。。
「その一つの言動で人を導いたかのような いい気になるな」
そんな父の口ぐせと、生意気盛りな子供たちへの様々な思いを胸に、今後もただ淡々と寺っ子スクールを遂行する。
山地 弘純
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