立春の今日、お写経会を行いました。
お写経をなんのために行うのか。
心を落ち着けるために。
お願いごとが叶うように。
先祖供養のために。
それは様々な目的があるのでしょうが、お写経は自分を見つめるにもよい機会となります。
自分をみつめること、それは簡単なようでとても難しいです。
真言宗ではこれを「如実知自心」といいます。
ありのままの自分を。
自分の心の在り様を。
深く深くに潜って行きます。
主観的に、
そして客観的に、
時に熱く、
時に冷静に、
観察していきます。
「自分のことは一番自分がわかってる!」などというセリフをよく聞きますが、意外と自分が一番わかってない部分もなきにしもあらずでしょう。
仏教とキリスト教の比較というものを読んだのですが、
仏教は自己探求には先んじているが、世の中の救済の点では劣っている。
キリスト教は世の中の救済には先んじているが、自己探求の面では劣っている。
そういう説がありました。
強みである自己探求へのいざないとして、写経をオススメいたします。
そしてそこから弱みである世の中の救済へと繋げて行きたいと思います。
それにしても心と向き合うということはハッとすることの連続です。
例えば、写経中におしゃべりする人がいたりして、前は集中がそがれ、あ~なんで静かにしないんだろうとか嫌な気になったりとかしていたのですが、それも自分の心次第なんですよね。
気になることなく、自分の文字を書くことに集中していて、まったく話し声に気付いていないという人もおられました。
そういえば「維摩経」というお経に書かれているお話を思い出しました。
お釈迦様の一番弟子の舎利弗が静かな林の中で瞑想をしていました。
そのとき現れたのが維摩居士という在家の仏教徒で、彼は舎利弗に言いました。
「あなたはいつまでそのような瞑想をしているのです。静かな所でのみ瞑想をしていて、これ以上なにが得られるというのでしょう。
真の瞑想とは、人々が笑い、泣き、叫ぶ、そのような中でも、林の中で行っているかのような平静な心を保つことなのです。世俗にまみれ、日々の生活を行いながらも乱されることがない。
これが瞑想なのです。」
写経で得た心の静かさを、日々の生活の中に移し替えれるように、精進したいものです。
山地 弘純
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