恥ずかしい。
もういっそのこと消えてしまいたい。
そんな人に言えない羞恥心。
つまり「恥」を感じているということです。
西洋は「罪の文化」、日本は「恥の文化」と分類されることもあるようです。
今、世間の常識や価値観を一度疑い、壊してみることで心を解放していこうとする流れが広がっている中、この「恥」という文化が人々の行動に大きな制限をもたらしてしまっているということにも着目されています。
古事記を読み解く中で学んだ、日本古来からある「恥」という文化。
他人の反応ばかりが特に気になる人は、とくにこの「恥」が刷り込まれているのかもしれません。
「家庭内の恥をさらすな」とか「こんなことをして恥と思え」とか。
少し言葉を変えると「世間に対して、ざまが悪い」とかね。
みなさんはこれらのことを強く言われて育った覚えがありませんか。
僕はたくさん言われて育ちました。
それがいいとか悪いとかではありませんが、自分の中に「恥」の価値観が強く根付いていることは確かです。
「恥」という概念は、世間体、つまり他者の目ばかり気にして生きていくことにも繋がりかねません。
まずは自分の「恥ずかしい」話をみんなでしましょう。
どうしても言えないものは、今は隠しておいてもらって結構です。
言えるような恥ずかしい話からまずは始めましょう。
そしてその染み付いた「恥」という価値観を取り外していきましょう。
そんな「羞恥心」のワークです。
合言葉は、
「恥をかいてもいい!」
「笑われてもいい!」
です。
恥をかいても大丈夫。
親に恥をかかせても大丈夫。
自分の作り上げた「よそ行きの顔」が崩れたって大丈夫。
他人に馬鹿にされたって大丈夫。
周りの空気は自分次第で変わります。
それに、言ってみると相手の反応は意外とたいしたことないことも多いです。
「恥ずかしい」が「おいしい」に変わってくるとしめたものですね。
山地 弘純
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