2月22日水曜日。
いつものように湯村温泉の旧みよしや旅館(現在湯快リゾートへリニューアル中)のわきにある書道教室へ。
端の勝手口の南京錠を開き、木の扉をあけようとするが開かない。カバンをその場に置き、両手で一生懸命力を加えるがびくともしない。
屋根の上の雪は相当に積もっている。
それにもともと建てつけ悪いからな~とか思いつつ、唯一忍び込める場所から入り込む。
正面の扉はいつもと変わりなく開く。
さ~そろそろ子供たちもやってくる時間だ。
あれ?
ファンヒーターを付けて部屋を暖めようとするが、電気がきていない。
部屋の蛍光灯もつかない。
なんてことだ。
これじゃ~習字教室ができないじゃないか。
親に電話を入れる。
「電気がきていないんだ。停電してる。来週休みの予定だったけど、来週来るように子供たちに言うよ。」
母親は地元の電気屋さんに電話しておくと言ってくれた。
部屋の外に出ると、習字教室に借りているこの集会所と向き合うように大師堂が建っている。
ん?なんだか大師堂に併設された炊事場の方の建物が斜めに歪んでないか?
そんな気がしたが、多分気のせいだろと思い、足を家路に向けた。
それでも子供たち全員に休みを伝えるまでは、帰ることはできない。
3年生の女の子たちはもうすぐそばまで来ていた。
「ごめんな、今日は停電でお休みにします。来週替わりに来てね」
子供たちは嬉しそうに帰っていく。
さらに5年生の集団もやってくる。
休みを伝えたら、子供たちはしばらくこのそばで遊んでいる。
あ、そういえばカバンを扉をこじ開けるって置いてきたままだった。
僕は取りに戻る。
大師堂と集会所を繋いだ屋根つきの回廊。
そこに置いたままのカバン。
あやうく忘れるところだった。
近くまで来た時、ベキっという音がした。
あっと思う間もなく、ものすごい音を建てて、大雪を載せた建物が崩壊した。
大師堂の炊事場の建物、回廊の屋根がぺしゃんこになっている。
僕は心臓は、弾けそうなほどに体中に響く。
今あの中に入ろうとしていたんだ。
寒気がした。
あの中に入っていたら僕は・・・。
「お~い、大丈夫か~~!」
湯快リゾートオープンに向け工事をしている多くの作業員の人たちが手を止めてこちらを見ている。
僕は震える声で「建物が崩れました」と答えた。
回廊の屋根が、習字教室の方の壁も突き破り、柱が折れ、窓も砕けている。
もしかしたらこっちもすぐに倒れるかもしれない。
カバンはつぶれた屋根の瓦礫の下から顔を出していた。
僕はそれを手に取り、逃げるように走り去った。
しばらく行くと子供たちが、こちらを見ている。
「先生大丈夫?」
のん気な子供たちを見て、少しホッとした。
それでも心臓は今だにドキドキしている。
「先生、変な顔しとる」
僕の顔はきっと相当に青くなっていたのだろう。
すごくこわい顔をしていたのかもしれないし、ゆがんでいたのかもしれない。
ただ、停電で休みにしていたおかげでこの子たちが・・・。
子供たちの無事が、なにより安堵したことだった。
僕が動揺して子供たちのそばにうずくまっている間に、電気屋さんはいつの間にか来て電気を見てくれたようだった。
「大変なことになってますね。電気は通そうと思えば通せますが、危ないですね~」
このまま習字教室を続けることが不可能なのだとその時わかった。
今も大雪を載せ、いつ倒れるかわからない建物が遠くに見えていた。
壁は崩れ、柱は何本か折れている。
多くの方の連名で所有しているが、みなが放置しているというこの建物を修理するなどということもありえないだろう。
そのうちに父と母も、一大事だとやってきてくれた。
檀家さんも一人着いてきてくれていた。
今なら大丈夫だと、4人で主だった備品などの荷物を運び出した。
父がこの場所を借りて湯村習字教室を始めてから約45年。
この場所に対する愛着は計り知れないだろう。
それをずっと手伝って来た母もそうだ。
いや、僕だってかれこれ15年。
大勢の習いに来ていた子供たちの顔。
この部屋に染み着いた墨の跡。
いたずらの落書き。
まさかこんな形で最後となるなんて。
別の場所を探さなければならない。
いや、このまま習字教室自体を終わらせなければならないのかもしれない。
その時、電気屋さんがぽつりと言ってくれた。
「ウチ使ってください。うちも塾をしてるんですが、今年度で閉めようかと言ってるんです。どうか遠慮なく使ってください。」
目からうろこのお話だった。
帰りにその場所を視察させていただいた。
十分やれる場所だった。
ただし、畳に座らせるという大切なことが一つできなくなってはしまうが、それでもありがたいことだった。
その場でお借りすることに決めた。
家に帰ってからも僕は食欲がなく、体が硬直したようになっていた。
地震で家が崩落する恐怖の一端を見たような気がする。
何度も僕は家が崩れ行く様子がプレーバックされた。
それでも不幸中の幸いだったことばかりだ。
僕自身が無事だったこと。
停電のおかげで、子供たちが無事だったこと。
瓦礫は工事のついでに湯快リゾートの作業の方々が撤去してくださるということ。
電気屋さんをお願いしていたおかげで、代替の場所がすぐに見つかったこと。
怖かったけど、本当によかった。
そうしみじみと感じている。
湯村大師堂と集会所にお別れだ。
今まで長い間、本当にありがとう。
山地 弘純
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