今頃書くことをお許しいただきたい。
ちょうど一カ月前にあった出来事。
10月20、21日、長く準備してきた大行事、「結縁潅頂」が大々的に行われた。
高野山結縁潅頂での覆面所のお手伝い、そして実際に覆面所の担当に当たって以来、僕は覆面のことだけを考えて来た。
でも本当はうわべでの言葉ばかりを考えていたんだとわかった。
今回実際に結縁潅頂の受者の方々に触れて、自分の発する言葉が少しづつ変わって行った。
僕自身以前に覆面されたこと。そして今回覆面を他の方々にしたこと。
それはかけがえのない体験になったと思う。
忘れないように、自分の発した言葉を書きうつしておこうと思う。
「みなさん静かにイスにお座りください。
ここは覆面所です。覆面とは、目隠しをするということです。
なぜ目隠しをするのかみなさん疑問に思われると思います。
我々は日々この目、つまり肉眼に頼って生活をしています。
この肉眼と言うのはほんとうに便利なものですが、しかし、この目があるがゆえにみえなくなっているものがあります。
愛だとか縁だとか、大切なものは目に見えないのです。
いのちだってそうです。
我々の肉眼で見ると、いのちっていうのは、あなたがたの体の中に一個づつ入っているように見えるかもしれません。
しかし、肉眼を閉じ、仏様の眼で感じていただくと、それは錯覚だということに気づきます。
目をつぶってみてください。体と言う入れ物が見えなくなり、いのちの分かれ目がわからなくなります。
あなたのいのちと、となりの方のいのちが繋がっています。
その隣の方とも、そのまた隣の方とも。
ここにいる全ての人の命と繋がっています。
もっともっと広げていくと、この世界の全ての人のいのち、また人以外の生き物のいのち、この大自然のすべてのいのちと繋がっています。
突き詰めていくと、大きな一つのいのちとして繋がっていることがわかってきます。
この大きな一つのいのちのことを、いろいろな言い方があるかもしれませんが、真言宗では、「大日如来」と呼んでいるのです。
我々のいのちは大日如来という大河の流れよりすくい上げた、コップ一杯の水のようなもの。
我々はそのコップに分けられたいのちに自分の色をつけ、日々生きています。
しかしまたそのコップの中のいのちをお返ししないといけない時が必ずやってきます。
すると我々の一人一人の色に染まったいのちの水は、大河の中に戻すとその色などなかったのごとく、さ~っと溶けてしまいます。
我々のいのちとはそういうものなのです。
これより大日如来さまの宇宙に足を踏み入れ、いのちを体感していただきます。
それではこれより目隠しをさせていただきます。
眼鏡をしておられるかたは眼鏡を頭陀袋のなかにお入れください。
これよりは肉眼は不要の世界ですので、ご安心ください。
また手に何かを持っておられるかたも頭陀袋の中におしまいください。
両手が自由になりましたら、先ほど阿闍梨さまより授けていただいた印をお結びいただきます。
そしてもう一つお授けいただいたものがございます。三摩耶戒のご真言です。
今より目隠しをはずすその時まで、この印を解くことなく、また真言を途中で止めることなく、一心にお唱え下さい。
なおこの先で起こることは、結縁潅頂未入壇のものにはくれぐれも口にしないようにお願いいたします。
それではご一緒にお唱えください。」
そして印を結び、真言を唱え続けた受者に目隠しをする。
視界のふさがれた受者たちの手を引き、大日如来様の世界へ引入する。
ひたすらこの法話と目隠しを繰り返した二日間だった。
これより先の世界のことは秘密なので書くことができない。
体感していただくよりないのだ。
ただし、在家の方に受けることができる最高の儀式結縁潅頂。
信じることができない方には興味本位では受けて欲しくない。
今回結縁潅頂を受け、大日如来様よりいただいた印信は、どうか大切に宝箱に保存していただき、お棺の中まで持って行っていただければと思う。
多分その方が持つ最高の証だと思うから。
山地 弘純
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